さすらい気功家徒然草                        

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Live at Raw Food Cafe, Tottori on February 24th, 2013 by Yuichi Nakahara on Mixcloud

Live at Ogamo Shrine, Kurayoshi, Tottori, Japan on June 16th, 2012 by Yuichi Nakahara on Mixcloud

Live at Ogamo Shrine, Kurayoshi, Tottori, Japan on July 2nd, 2011 by Yuichi Nakahara on Mixcloud

Live at Biwako Biennale on October 2nd, 2010 by Yuichi Nakahara on Mixcloud

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DJ Yuta & Yuichiで、韓国へ公演に参ります。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

DJ Yuta & Yuichiは、この度鳥取県庁障がい福祉課様・交流推進課様の委嘱を受けまして、月末11月28日から12月2日まで、韓国江原道で行われる全国障がい者フェスティバルにおいて、日本からのゲストということで、客演演奏をさせて頂くことになりました。

 

ご存知のように何かと微妙なこの時期ではございますが、何せ我々のプロジェクトとしては初の海外公演ですので、頑張って参りたいと思います。

 

従いましてこの間、業務を一時お休みさせて頂きますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

| アート・シーン探訪 | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
今、『チベットの死者の書』を読み直す。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

今、私の祖母が亡くなりかけています。

 

今年96歳になる私の祖母は、数年前から、介護が必要な状態になっていました。最初は自宅で介護をしていたのですが、ご多分に洩れず状況が悪化してきたので、昨年より琴浦町内の特別養護老人施設に移りました。

 

そこで、脳に水がたまってきたとかで手術を行ったのが三ヶ月前、そのまま昏睡状態となり、現在に至ります。それだったら最初から手術して何の意味があったんだという話ですが、実際こういうケースも多いんでしょうね。

 

先日出張で鳥取へ帰った際に、母より、どうも最近状況が更に良くない、と言われたので、もう長くないかもな、と思って、早目に見舞いに行くことにしました。

 

病室へ入って祖母を見ると、手足が異常に浮腫んでいます。典型的な腎臓障害ですね。声を掛けても返答しません。文字通り、肩で息をしている、といった状態です。でも、あまり悲しいという気持ちはしません。年が年ですからね。それにこの病室は冷暖房完備。ほぼ昏睡状態のこのままで逝くのであれば、それはそれで大往生と言えるのではないだろうか、と思いました。

 

思えば祖母のお陰で、仏教を始めとした東洋思想に深くコミットメントするようになったわけですから、祖母には感謝の言葉しかないな。そう思いながら、横たわる祖母を見ていました。

 

その時ふと、不思議なことに気付きました。

 

横たわっている祖母の体の上に、熱の塊のようなものがふわふわと浮いているのです。私は錯覚かと思ったのですが、その場所にはエアコンの吹き出し口があるので、本当だったらその辺りは、冷たい空気のはずです。しかしそれは温かい。そうこうしている内にまたいつものように私のおでこが、ガタガタと鳴動を始めました。私は、とても不思議な心持ちがしました。

 

家へ帰ると私は早速書斎へ行って、2冊の書物を手に取りました。それが、『原点版チベットの死者の書』(川崎信定訳、筑摩書房、1993年)と、『三万年の死の教え』(中沢新一著、角川文庫、1993年)です。

 

私がこの2冊を初めて手にしたのは、1997年でした。当時の私は、チベットへ赴いてチベット仏教を学ぼうかどうしようかと思いあぐねていた時期でした。結局それを断念させてくれたのが、当の中沢先生だったわけですが(笑)。先生は、チベットへ行っても今となっては仏教の真髄を学ぶのはかなり難しい、行くのであればカリフォルニアの方が良い、と言われました。その後私は結局チベットへもカリフォルニアへも行かず、そのチベットといわば敵対関係にある中国の気功法を学ぶことになったというのは、非常に皮肉なものだな、と今は思いますが、1997年というのはその気功法を学び始める前の時期でした。

 

あれからかれこれ20年が経ち、私自身の気功に関する知識と経験も、そこそこ充実してきたように思います。そんな中間もなく迎えるであろう祖母の死。そのような状況でこの2冊を読み返すと、非常に考えさせられました。

 

初めての方には、中沢先生の本の方が取っ付きやすいと思います。しかし今の私は、この取っ付きやすさが問題かな、と思いましたね。というのはこの本の中では、死に関連する様々な現象が、非常に認識論的というか、哲学的に解釈されて語られているように思われるからです。最初にこの本を読んだ当時の私も、「心の本性(セム・ニー)」とか「イェシェ(裸の知性体)」といったテクニカル・タームを、そのように理解していましたけれども。

 

ところが、気功を通過した今の私には、これらの現象は、もっと現実に即した、即物的(とはそういうご経験のない方には全く思われないのでしょうけれども)なものなのではないか、と思われます。

 

ここではその個々の現象に関して細かく論じることは致しませんが、ただ一つ言えるのは、「心=魂」というものが肉体にオーバーラップして存在している状態が我々が認識している生の状態であって、当然その間は身体の様々な物理的限界によって、「心=魂」自体も様々な限界を受ける(と"思わせられる"=「無明」)のですが、死に向かって肉体が崩壊していくと、その「心=魂」はその限界から解き放たれる、つまり「心=魂」とは、一種の「場」のようなものなのではないか、ということです。

 

そう考えると、チベット仏教のポアですとか仙道の出神、幽体離脱といった様々な現象も、同じ現象として捉えられることになりますし、そして私が病室で知覚したのも、その一つかも知れない、ということになります。これを「イェシェ(裸の知性体)」という言葉で呼ぶのだとすれば、その方が今の私にとっては、無理なく受け入れられますね(因みに私が知覚したのは、『バルドゥ・トェ・ドル』(通称『チベットの死者の書』)に書いてあるような光ではなく、熱でしたが。この辺りは、私にはオーラと呼ばれるものが見えないけれども、それを熱感として知覚する、ということと関係があるのかも知れません)。

 

言うまでもなく、そのような修練を行っていない方にも必ず訪れる全く同じ現象が、死です。その時に慌てふためいて、何らかの生命現象がスタートする瞬間を目の当たりにするとそこにせっかく自由になった「心=魂」は吸い込まれてしまい、再びこの世に何らかの形で生を受けることになる、それが輪廻(Reincarnation)であり、そのスパイラルに陥らないことが解脱である、という風に考えると、今の私としては非常に腑に落ちるものがあります。実際そうでなければ理解できない様々な現象が、私の周りで始終起こっていますからね(因みにこれは、幽霊とも微妙に違うと思います。私は幽霊は冷気として知覚しますが、神聖と言われる場所や像、あるいは時々うちにいらっしゃる方々(笑)のそばで感じるものは文字通り真逆で、正に熱=陽気ですね。何が違うのかと言えば、前者の場合は、突然訪れた死=心身の分離を受け入れられず彷徨っている状態、そして後者の場合は、それを特殊なテクニックによって意図的に行った状態です。これも気功=仙道の理論通りです)。

 

だとすれば誰も避けることが出来ない死を待つ我々がなすべきことというのは、スムーズな「心=魂」と身体との分離がもたらされるように、「心=魂」を強化すること、ということになりそうです。その「心を強化する」というのも、精神論ではありません。陽気を丹田から発してそれを「心=魂」とマージさせ、身体からも独立した状態を獲得すること。してみると練功をすることで全身が物凄く熱くなるというのは、リラクゼーションによって毛細血管が広がって体温が上昇するといった生理学的な理由だけではないのかな、とも思いますね。

 

間もなくお盆。信仰心があろうがなかろうが、霊的な存在に対して祈りを捧げる時期です。そしてうちの場合は、間もなく迎えるであろう祖母の死。それどころか米朝核戦争で、私を含めた日本が明日にでも消滅するかも知れない。でも祖母の様子を目の当たりにして、死んでもああなるだけか、と思ったら、あまり死に対して悲壮感はないですね。何というか、フェイズが一個ずれるだけなんだな、みたいな。その意味でも祖母は、最後の最後でも重要なことを私に教えてくれたのかも知れないな、と思います。

 

何はともあれ、今はもう一度この2冊を読み直して、来るべきものに対して十分な備えをしておこう、と考えています。

| 気功関連トピックス | 15:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
DJ Yuta & Yuichi、六本木のステリーナ教会でライブを行います。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

来る8月26日土曜日、DJ Yuta & Yuichiは、六本木ミッドタウン横にございますステリーナ教会で、単独ライブを行います。

 

単独ライブと言いつつ、今回は初の試みとして、ゲストミュージシャンをお招き致しました。現在国立音楽大学に通っていらっしゃる、ハープ奏者の琴声(ことこ)さんです。何でも井谷君が小平駅で偶然お会いしたらしくて。ご自身も学業の傍ら、都内でソロ活動に勤しんでいらっしゃる努力家さんです。我々だけですとどうしてもエレクトロニックになりがちですが、今回は彼女のアコースティックのハープが入ることで、かなりヒューマンなサウンドになるのではないか、と考えています。

 

またステージ構成も今までとは違った趣向にして、ソロのパートを大幅に増やそうと考えています。その方が全体的にメリハリが付くのではないかと思いまして。具体的には、三人それぞれのソロのパートを中心にして、その合間をデュオないしはトリオで演奏する、という形を考えております。

 

今回も、いつもお世話になっております鳥取県庁障がい福祉課様によります、平成29年度障がい者アート活動支援事業(個展等開催事業)の一環ということで、資金面・機材面での全面的なバックアップを頂いております。そのお陰で、今回の入場料は無料とさせて頂きました。また今回場所を快くご提供頂きました六本木ステリーナ教会を運営されていらっしゃる株式会社アローズコーポレーション様にも、全面的なご支援を頂いております。関係者の皆様、本当に有難うございます。

 

何せ、教会ですからね。しかも六本木。多分お二人はヒーリングテイストの美しい音楽を奏でられるでしょうから、それこそ私は真逆で、暗ーいゴシック風の楽曲にしてみましょうかね。Mellotron風のコーラスを全面的にフューチャーして。やはり教会でのライブと言えば私の場合、Tangerine DreamのRicochetですから(笑)。

 

4:30pm開場、5:00pm開演です。ただし会場のキャパシティの関係で、今回は30人限定のライブとさせて頂きたいと思います。事前に予約が必要ですので、ご希望の方はメンバーに直接お問い合わせ下さい。それでは宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

 

| アート・シーン探訪 | 14:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
Kさんとの対話(13)〜気功とビジネス、ヨガとの違い、電位について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

こちらこそ有難うございました。時間調整に不具合があって展示会と教室がバッティングしてしまい、皆様にご迷惑をお掛けしてしまったのではないか、と反省することしきりです(汗)。でもそのお陰もあって、有難い事に大賑わいでしたけれども。怪我の功名というやつですね(笑)。

 

展示会全体も、成功に終わった方だと思います。オーナーの高橋さんの予想を大幅に超える売り上げでしたしね。僕も嫁も、ほっとしました。

 

今回は単純にうちだけの展示即売会というだけではなく、社会実験も兼ねていました。Kさんもすでにお気付きだと思うのですけれども、鳥取県が置かれている状況って非常に厳しいですよね。特に展示会をした場所の周辺は、30年近く前から地域活性化の象徴みたいな感じで鳴り物入りで色々やっていますけれども、あまりうまく行っているようにはどうしても見えない。

 

そんな中でビジネスをやるとしたら、どんなスタイルが考えられるか。それを考えるのも、気功の表れ方の一つだと思うんですよね。「気功=功夫」の意味は、文字通り「工夫」ですから。何もないところから何かを生み出すというか。ビジネスをやるのであればやはり人の集まる都市部とかでやる他ないと思うのは当然なのですけれども、それでは面白くない、と考えてしまうわけです(笑)。あるいは、リサイクルの精神ですね。何もないところから価値を生み出していくというか。そういうのは立派なクリエイションだと思うのですね。

 

ただそんなことをあの辺りで誰かに話して賛同者を募っても胡散臭いと思われるだけでしょうから、それなら自分だけでやってみようかな、と思ったわけです。あまりチームワークというのは上手ではないものですから(笑)。それがある程度数字という形で表れたというのは、嬉しかったですね。

 

今後もそんな感じで、どんどんとイベントをクリエイトしていきたいと思います。それが少しずつでも広がっていけば、嬉しいですね(笑)。

 

そうですか。教室ではたくさんいらっしゃるのでなかなかじっくりとお話し出来ないのが残念なのですが、そういうリアクションは面白いですね。僕は小周天とクンダリニーは思想のバックグラウンドが違うだけで、同じ現象だと思うんですけれどもね。丹田とチャクラもそうですけれども。東京である有名な先生とかと話す機会もあったのですけれども、彼らもあまりジャンルを超えて一つの現象を分析するみたいなのを嫌がる傾向がありますね。だから僕も正統後継者になるとかに当初から全く興味がなかったわけですけれども。僕はどちらかと言えば肥田春充さんのように、様々なものを自己流で組み合わせてたらとんでもないことになっちゃったみたいな人にどうしても興味が湧いてしまうものでして。武満徹さんとか(笑)。

 

あと面白いなと思ったのは、そうですか、彼女はそんなことを言われてたんですね。変な話ですけれども、自分では解らないですからね。ここら辺はやはり、電気と似ているのかも知れない。問題となるのは、電位差だと思います。電位が高い状態、低い状態があったとしても、それ自体では何てことはない。しかしそれを導体で繋ぐとそこに流れが生じる。これが電流で、その圧力が電圧ですね。雷も同じ原理ですが。ですからそういう意味では、僕も被験者がいないと自分の状態が良く解らないですね。だから施術とかをやるわけですけれども。師匠が、「一指禅功の場合、施術がそのまま練功になる」と言っていたのは、実感としても確かだと思いますね。因みに嫁も、部屋に僕がいる時といない時とでは体感温度としての室温が全く違うと言っていました。この暑い時期には気の毒だなとは思いますけれども、僕にはどうにも出来ません(笑)。

 

7月第一週の件は、了解致しました。因みに来週の日曜日は、湯梨浜町のある滝に、リサーチに行ってきます。何でも龍が住んでいるらしいです。ドラゴンクエストですね。僕なんかより皆さんの方が積極的ですね(笑)。それではまた!

 

中原勇一

| Kさんとの対話 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
Kさんとの対話(12)〜小鴨神社、『小薬・大薬』、瞑想の効果について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

こちらこそいつも遠いところ、有難うございます。

 

さて、今日は例の小鴨神社に行って参りました。僕は課外授業までやるとは全然思っていなかったのですけれども。皆さん熱心です(笑)。ひとしきり神主さんの説明を聞いた後、彼がいなくなられてからおもむろに本堂のある一点に集まって、そこに手をかざしました。皆さんやはりその辺りで、微妙な熱波みたいなものをお感じになったようですね。まずまずといったところでしょうか。初めての方だとわかりにくいでしょうからね。

 

その後ひょんなことから僕の「ぶっ飛び系の」友人に会いたいという話になり、彼を呼び出して喫茶店で延々とディープな話をしました。しまいにはフリーメーソンとかロスチャイルドだけではなく、先だってのロシアの隕石の軌道をUFOが逸らしたとか、そんな話も出ましたね。皆さんの方がぶっ飛んでいたという(笑)。おっしゃられるように僕はなるべくトンデモ系(と言ったら失礼ですけれども(笑))と混同しないようにしていたのですが、どうもそうはいかなさそうですね。なかなかファンキーな一日でした。鳥取県でも、表立って活動していない面白い方々は探すといらっしゃいますよね(笑)。

 

ところでお尋ねのあった高藤氏の『小薬・大薬』に関してですけれども、恐らくそれは丹田の感覚の別流派による表現ではないか、という気がしますね。僕の場合の丹田の感覚というものは、何と申しますか、そこに全てが収斂していくような感覚ですが、あの感覚を「薬」という言い方で呼んだのではないでしょうか。実際あの感覚を呼び戻すと頭頂部に強い圧力が掛かったり、全身が物凄く熱くなるわけですが(この時明らかに、体温は上昇しているでしょうね)、そんな感じで体にプラスの影響を与えるという意味で「薬」と呼んでもいいような気がしますね。実際僕はそういうトレーニングを続けているせいか、病院に行ったり薬を飲んだりしたことは、ここ二十年間ないですから。常時加熱殺菌みたいな(笑)。あとここに気持ちを置くと、通常の数倍の力が出るというのも、事実です。簡単に検証出来ますけれどもね。家庭用の体重計があれば。

 

デフォルト・モード・ネットワークという発想は面白いですね。この概念でもいわゆる脳波でもそうだと思うのですけれども、脳が働いている状態=通常の意識状態というものは、身体にとっては阻害要因以外の何者でもないのですね。ストレスなんかがその最たる例ですね。でも普通の人はその活動を抑制するやり方をご存じない。強火にするだけで弱火には出来ない。そりゃあ常識的に考えてもアドレナリンが常時出まくりなわけですから、全身の各器官が早く劣化するのは当然だと思いますよ。あと、意識が特定の方向を向いていることでそこからこぼれてしまう情報があるのも、当たり前かも知れませんね。スマホいじってたら側溝に落ちたとか(笑)。ですから意識を特定の方向に向けるのではなく全体を眺めるようにすれば、今まで気づかなかった情報に気づけるようになるというのは、当然の流れだと思います。その意味でも瞑想(「concentration=止」ではなく「meditation=観」の方です)はお勧めだと思いますね(ポイントは、雑念の処理の仕方なんですけれどもね)。

 

最後に音楽とカオス理論ですが、正におっしゃる通りですね。というのは、カオスというよりも乱数みたいなものだと思うのですけれども、そのように確率論的にランダムに音を発生させるプログラムがあるんですね。それをシンセサイザーにつなげています。何でか知らないですけれども、昔からそのような音楽的な発想ではない作曲法にやたらと惹かれていましてね。John CageのChance Operationとか。そのプログラムも僕にとっては完璧ではないですけれどもまあ近いイメージなので、使っているんです。Generative/Interactive Musicとも言うようですが。そういうのを研究するのは、とても面白いです(笑)。

 

というわけで、15日も是非お待ちしています!

 

中原勇一

| Kさんとの対話 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
DJ Yuta & Yuichi、6月22日の台湾フェスティバル(R)TOKYO2017に出演致します。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

来る6月22日、DJ Yuta & Yuichiは、上野恩賜公園噴水広場にて開催される『台湾フェスティバル(R)TOKYO2017』に出演致します。

 

話を持ってきたのは、当然井谷君です。台湾ですかー、長年興味がありつつも、行ったことはまだない未知の領域ですね。言うまでもなく私の興味の対象は食文化ではなく、道教文化ですが。中国本土ではすでに廃れてしまったピュアな道教文化が色濃く残っていると言われる台湾。嫁の里帰りの時には付近の海域を通過することはあるんですけれどもね。次回はエバー航空か何かで、トランジットは台湾にしましょうかね。あ、今回のイベントのスポンサーさんですね、やはり(笑)。

 

このイベントもまだ行ったことはないのですが、来場者数4〜5万人って凄いですね。私が関わった某国際交流フェスティバルの100倍以上、みたいな。こういう大きな舞台に出して頂けるというのは、本当に光栄ですね。てか、HPの写真のラーメン、美味しそう過ぎます。演奏よりこっちに注力しそう(笑)。

 

あわよくばここで何らかのコネクションをゲットして、台湾本土に遠征とかいいよねー、と二人で画策しているところなのですが。ええ、良いお話があれば海外でも対応出来ますよ。電源さえあればOK(笑)。

 

しかし6月22日の順番ってこれトリじゃないですか。こんなことしていいんですかね?「台湾をイメージさせるオリジナル曲と即興の演奏」って、じゃあそういう曲作らないといけませんね、今から。この辺がポジティブ付け焼刃インプロテクノユニットの真骨頂(笑)。まあ我々の音楽は、基本チルアウト/ラウンジですので、小龍包をお食べになる際のBGMとしてお聴き頂ければ幸いであります。というわけで、当日会場でお会い致しましょう!

 

 

| アート・シーン探訪 | 18:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
予言を超えた予言〜近未来の日本は間違いなくこうなる・・・。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

ネットに、極めて興味深い記事が載っていました。

 

内閣府が算出した「最悪のシナリオ」これが33年後の現実だ!〜「人口8000万人」の日本で起きること

 

私はこの予測は、かなりの精度で的中するはずだと考えています。なぜなら、私の郷里では現在進行形ですから。的中しないわけはない(苦笑)。

 

わずか33年後。こうなってくると、遊星が激突するとか、ハルマゲドンが起こるといったいわゆる『ムー』的なスタンダードな予言が、途端に可愛らしく思えてくるから不思議ですね。なぜならこれは、現実に起こること、ないしは起こっていることですから。むしろそういう天変地異の方がマシじゃね?みたいな。

 

こういう世界に住み続けることも、「自己責任」になってしまうのでしょうかね。だとすれば、我々一人一人が、それぞれ自己防衛の策を講じるしかないんでしょうね。いやはや、恐ろしいことです・・・。

| 時事関連トピックス | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
Kさんとの対話(11)〜オーラの見え方・気の種類について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

面白いレポート、有難うございます。確かに僕もオーラを見る練習をしましたね。僕の場合は好奇心からではなく、業務上の必要からですが。そんなこと言うのは僕だけでしょうけれども(笑)。実際オーラが見えると、ご相談を受けた時に役に立ちますからね。経絡の流れが熱感でわかるとはいえ、断りも無くクライアントさんに触るわけにはいきませんし。もしオーラが見えたら予備の判断材料になりますからね。

 

そんなこんなで一応トレーニングは続けてはいますが、僕の見えるのは普通言われる一般的なイメージとは違って、色ではないです。波のようなものですね。あるいは陽炎みたいな感じで指からゆらゆらと見える時がありますね。夜なんか結構きれいです。幻想的で。Brian Enoと良く合います(笑)。でも以前申し上げたように、僕はどうやら視覚タイプの人間ではないようで、はっきりとは見えません。やはり僕は、熱感の方が強いですね。そう言われれば昔地元の「こがね」という喫茶店の駐車場で友人数人が僕の気を見るだの何だのやっている時に、僕が例の太極椿の姿勢を取ったら、「あんた沸騰しとっでないか」と言われましたね。何が見えたんでしょうね?因みにその喫茶店、最近クローズしたらしいですが。残念です(苦笑)。

 

また、教室とか講習会とかで使う気と、個人指導や施術で使う気とでは、全然違うと思いますよ。気そのものは同じでしょうけれども、密度は違うでしょうね。さすがに教室という形だと、初めての方とかいらっしゃいますからね。どうしてもその方に興味を持って頂くようにメニューなり説明を変えたりしないといけませんから、まあ個人の時のような集中は出来ませんよね。いずれにせよ、教室という形での指導というのは、あまり得意ではありません。基本的にたくさん人が集まっているところで話すとか好きではないので。ご存知のように(笑)。

 

そう言えば以前やっていた教室の方とこの前集まった際に、僕と一緒に練功している時の感覚とご自分だけで練功している時の感覚が全然違う、というお話が出ていましたが、それはやはり仕方が無いでしょうね。僕はただ単にテクニックをお教えしているわけではないですから。細かいお話は省きますが、『帯功』と言って、クライアントさんの丹田と僕の丹田をイメージで接続してそこへ直接気を転送するという作業を行っています。無線LANで(笑)。それを一人だと自力でやらないといけないわけですから、それはかなりの熟練が必要になりますからね。例えて言えば、炉に入れるのが石炭なのか核燃料なのかの違いと申しましょうか(笑)。昔から師匠が要るというのは、そういう意味でもありますね。

 

準静電界ですか。そういうのを聞くとわくわくしますね(笑)。僕も、気の現象は電磁場に大いに関係があると思いますね。基本的にそういうのは、電磁気学でも十分記述出来ると思います。実際僕も施術や練功の仕方をどんどん変えているのですが、その背景にあるのは気功の理論とかではなく、現代物理学の場の理論だったりしますし(笑)。その意味でも、一人で練功する時の場の状態と僕と練功する時の場の状態は、かなり違ってくる可能性がありますね。

 

もっともそういう静電界を考えなくても、「気配」とかでいう気に関しては説明可能かな、とも思いますけれどもね。ついこの前あるクライアントさんとお話していて、この方腎臓が悪いんじゃないだろうかと思って注意するようにお勧めしていたら、その時は症状が出ていなかったにも関わらず、数日後健康診断でMRIを受けたら腎臓にトラブルが見つかった、と昨日連絡がありました。ここら辺が東洋医学の真骨頂ですね。我々が見ているのは全然違うフェイズなので。血尿が出始めれば、もう手遅れでしたからね。肩凝りですと言われたら薬物中毒の可能性を疑うみたいな(笑)。

 

要するに現代人は、感覚がかなり鈍くなっているというのはあると思います。余計なことを考え過ぎているお陰で処理が追いついていない無意識の情報って、膨大な量あると思いますよ。最近では明らかにスマホの影響ですけれどもね。ですから坐功その他でその負荷がかかり過ぎの意識を休めるトレーニングをすれば、今まで気付かなかった情報に気付けるようになるというのは、極めて自然の流れのような気もしますね。先のオーラとかでも全く一緒でしょうけれども。ご自身の気功の効果に関してご報告がありましたけれども、正にそんな感じですね。余計な負荷が我々の可能性を阻害してしまうというのは、そういうことだと思いますね。PCと全く一緒です。

 

ではでは、また何か面白いことがあったら、是非ご報告下さい!

 

中原勇一

| Kさんとの対話 | 18:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
『まちで楽しむ(5)〜学生が輝けるまち小平〜』に参加して来ました。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

昨日DJ Yuta & Yuichiは、武蔵野美術大学で開催されました『まちで楽しむ(5)〜学生が輝けるまち小平〜』というイベントに参加して参りました。

 

 

 

先頃参加させて頂いた「みんなでつくる音楽祭 in 小平」の実行委員の学生さんにご紹介頂いた今回のイベント。実は小平市は、嘉悦大学・白梅学園大学・文化学園大学・武蔵野美術大学・津田塾大学・職業能力開発大学校と、大学が6つもある、ある種「学生の街」なんですね。その6つの大学の有志の学生さんが「小平市大学連携協議会」という組織を合同で立ち上げ、彼ら学生さんが地域社会にどのような貢献が出来るか、を模索していらっしゃるのですが、その研究発表会というのが今回のこのイベントの趣旨でした。

 

 

 

第一部は、ブース毎に別れて各大学の個別のプレゼンテーション。そして第二部は、「学生が小平で何ができるか?」というテーマで社会人と一緒にディスカッション、そして最後は、現小平市長の小林正則さんその人がシンポジウムを総括する、といった内容でした(我々も、初めて市長にお目に掛かりました)。

 

 

 

今東京都では、郊外の少子高齢化が大きな問題となっていて、小平市もその例外ではありません(もちろん市長も、その点に触れられていましたね)。その小平市で学生さん達が、積極的な社会貢献を行おうと様々な試みをされているというのは、素晴らしいことだと思います。

 

 

 

彼らにはパッションがあります。それは取りも直さず、良い意味で完全に社会に染まっていない、凝り固まっていない、ということと大いに関係があると思うのですけれども、逆にそれ以上の世代(言うまでもなく私を含めてですけれども(笑))、我々には彼らが(年齢的な要因で)持ち合わせていない経験とかノウハウがあります。しかし今の社会状況を見ると、それらがうまくマッチングしていないのではないか、と思うことが、多々あります。ジェネレーション・ギャップと言ってしまえばそれまででしょうけれども、その言葉に甘んじてそれを放置してしまえば、ますますそのギャップは拡大していくだけです。かといって真正面から、それを解消しようとしても効果は薄いのではないか、と思いますね。

 

 

 

むしろ、それらをうまく組み合わせる方法が考えられないか、それを模索することは悪くないんじゃないか、と思いますね。そのようなことを私も、同じく少子高齢化問題を抱えた郷里鳥取県で、種々の地域文化活性化イベントに参加してきた経験から、少しお話しをさせて頂きました。都市と地方の問題と全く同じで、水と油とまでは申しませんけれども、全然立ち位置が異なった要素同士をどうやって組み合わせるか、それを模索するのも、今回のイベントが行われた武蔵野美術大学ではありませんけれども、立派なアートですとかデザインの仕事なのではないか、と思いますね。マン・レイの『ミシンと雨傘』みたいな(笑)。

 

 

 

そんなこんなで我々も、我々が住むこの小平市に我々なりの貢献が出来たらな、と考えているところでございます。まずは年末の音楽祭ですね。というわけで主催者の学生の皆様、お疲れ様でした。今後とも宜しくお願い申し上げます。また実行委員会でお目に掛かりましょう!

 

 

 

| アート・シーン探訪 | 14:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
Allan Holdsworthさんが亡くなられたようです。

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。


ギタリストのAllan Holdsworthさんが亡くなられたようです。

私が最初に彼のプレイを聴いたのは、多分UKの"In The Dead of Night"だったと思います(John Wettonさんも先頃お亡くなりになられましたから、存命のメンバーは二人だけになってしまいましたね)。前世紀の(笑)ギター野郎にしてみれば、最強ギタリストといえばフル・ピッキングのAl Di Meola(あるいは、John McLaughlin)か、レガートで弾くこのAllan Holdsworthかだったのですが、私が共感を覚えたのは、後者の方でしたね。その彼の代表的な名プレイがこの曲でしたが、よく練習しましたね。その次に聴いたのは、Soft Machineの"Hazard Profile Part 1"。いまだにどうやって弾いているのかわかりませんが。

経歴を含めて、やることも非常に変わった方でしたね。自分の奏法を解説したビデオを発売直後に手の内を明かし過ぎたといって発売中止にしちゃうとか。一時期お金に困ってレジ打ちのバイトをしていたとか。まあこれは都市伝説っぽいですが(笑)。バンドに参加しては直後に辞めちゃうとか。そのまま続けていればお金になったんでしょうけれども、それは彼の心情が許さなかったんでしょうね。

ステージも一回だけ見ました。神戸のチキンジョージで。お客は私を入れて20人もいなかったんじゃないでしょうか。それにムカついたのかどうかは知りませんが、いきなり演奏を始めて、いきなりアンコールも無しで終わりましたね(笑)。

超絶技巧の分野で語られる彼ですが、むしろ私が興味を持っていたのは、彼の楽曲の和声進行ですね。何でこんな奇っ怪な和声進行をするのか、というか、しなければならないのか。19世紀末にシェーンベルクが和声を崩壊させた後様々な作曲家がそうやって解放された12音をどうやって再構成するかを模索したわけですが、ジャンルこそ違え彼もその一人だったように思います。かと言ってフリー・ジャズにはいかないみたいな、この辺の際どさが彼の偏屈さに直結していたのでしょうが。

その和声進行の謎も、彼の死と共に永久に失われてしまったようですね。因みに昨年の東京国際フォーラムでの演奏は、彼のプレイをかなり意識してやりました。特に一曲目ですね。まあ誰も気付かなかったでしょうけれども。

まあ世代の問題ですが、私が若い時に影響を受けたミュージシャンが次々と鬼籍に入ると、どうしても一抹の寂しさを感じざるを得ないですね・・・。

Thank you so much, Master Allan Holdsworth, rest in peace ...

| アート・シーン探訪 | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
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