Kさんとの対話(24)〜気と波動、場について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 いつも遠いところ有難うございます。先週は面白かったですね。Iさんも色々強烈な体験されてらっしゃるそうですよ。あまり大っぴらにはされませんけれども。頭がおかしいと思われたら嫌だそうで。そんなことないと思うんですけれどもね。 やはりそれなりの体験される方は、そう思っちゃうんでしょうかね? それに比べると僕の体験とかは、逆に地味だと思うんですけれども(笑)。

 

 その量子のお話は面白いですね。Kさんは工学部ご出身ということですが、大学では量子の研究もされたのでしょうか?2スリット実験のこととか、世間一般ではあまりそんな話はしないので、もしかしたら、と思いまして。

 

 そこら辺僕もそうで、最初自分の体に変化が起き始めた時に、これは一体何だろう、という疑問から、物理学の勉強を個人的にやっていたことがあります。それこそ量子力学はおろか、場の量子論から超ひも理論とかの本まで読んでいましたね。でも実用的には電磁波理論や静電気学で十分かなと思って、それ以来深入りはしていないのですが。

 

 ただ、気と電磁波のような波(動)とは、似ているけれども違うかな、とも思ったりしています。波は動的なイメージがありますから。一番しっくり来るのは、場に関する理論かな、と思います。特にこの前のような霊体だとかの話になると、やはりそれは波とかではなく、場のあり方を規定する何かではないか、という気がします(感覚としては、場に意識が刷り込まれているような感じでしょうか。更にそれには、プラスとマイナスの二つある)。そこら辺も踏まえて僕も、施術そのもののやり方を変えたりとかしています。以前は波と考えて施術をやっていたのですが、最近はむしろクライアントさんの周囲の場をターゲットにしています。『帯功』というテクニックは、正に場を相手にしたものですしね。あと色んな方がご覧になられているように、いわゆる幽霊が僕に近づけないようになっているみたいな。その辺は師匠から教わった通りではあるのですけれども。ですから、霊体と幽霊とは、体感としても全く違いますね。僕の場合ですけれども。

 

 そういう意味では初学者の頃は、施術の技法や中医学、陰陽五行のような理論的な部分に目が行かざるを得なかったのですけれども、Kさんとのこの前の現実と夢との違いの議論や、今回の量子の議論、あるいはやはりそれだけではないような現象にもやたらと巡り会うようになりますと、非常に考えさせられるものがありますね。

 

 特に、インドネシア呪術ですね。まさかそちらに本格的に足を踏み入れるようになるとは、気功を始めた頃は、全く想定していませんでしたからね。嫁と結婚していなかったらそうは絶対になっていなかったわけですから。あるいは、2011年に鳥取へ帰らなかったらそうはなっていなかったはずですから、運命とは不思議なものだなと、つくづく思います。恐くないと言えば嘘になりますけれども、乗りかかった船ですからね。行くところまで行くのも、これまた運命ですかね(苦笑)。

 

 月末はどうかご無理なさらないで下さい。ホントいつも遠いところ申し訳ないです(汗)。それではご自愛下さい!

 

                                 中原勇一 拝


恐るべきインドネシア呪術の世界エピソード7〜マジック・チャームの「見返り」

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Aさんがジャワ東部を訪れた時、そこでマジック・チャームを手に入れた。

 

譲ってくれた人物は、こう言った。これは素晴らしく効き目のあるマジック・チャームですよ。あなたが信じてくれるかどうかはわかりませんけれども、精霊が封じ込められているんです。その精霊があなたの望むもの、お金でも、名声でも、何でも叶えてくれますよ。

 

Aさんは、いわゆるリタイア組だった。Aさんは現役の時はかなりの地位にいた人物で、リタイアした後は悠々自適の老後を送る「はずだった」。ところが実際にリタイアすると、彼の周囲の人たちは、まるで波が引いていくかのように去っていった。おまけに彼の子供たちも、皆独り立ちしてしまっている。家にいるのは、長年の伴侶である妻のみとなった。時々彼は、どうしようもない寂しさに襲われるようになってしまった。そんな矢先に、このマジック・チャームのことを話してくれる人物と出会ったのだ。あまりこういうことを信じるタイプではなかった彼だが、騙されたと思って頂いておくか、と考え、そのマジック・チャームを受け取ることにした。

 

不思議なことにその後、再びかつての友人たちが、彼を訪ねるようになった。彼の子供たちにも子供が出来て、お爺ちゃんお爺ちゃんと慕ってくれるようになった。おまけに、そろそろ手放そうかと考えていた郊外の農場が破格の値段で売れて、大金が転がり込んできた。彼の家には、再び活気が取り戻されたかのようであった。

 

ところが彼は、これらは全て偶然だろう、と考えた。彼はマジック・チャームのことなど、完全に忘れていた。そのマジック・チャームは、他のがらくたと一緒に、押入れの中に放置されたままになっていた。彼はかつてのような幸福感に包まれながら、日々を送ることが出来るようになった。

 

そして、変化は突然訪れた。

 

ある日彼は脳梗塞を起こし、病院に担ぎ込まれた。幸いなことに一命は取り留めたが、車椅子での生活を余儀なくされるようになってしまった。そうこうしているうちに、近所で奇妙な噂が立つようになった。あの家はお化け屋敷だと。実際それは、彼の子供たちも気付いていた。何かがおかしい。かつての私たちの家じゃない。彼らはそう感じていた。しかも彼らの子供たちも、お爺ちゃんの家が怖いと言い出し、訪れるのを嫌がるようになった。でも、単なる気分的なものかも知れない。病気になってしまったのだから、仕方ないではないか。両親を放っておくことが出来ない彼らは、無理をしてでも両親の家を訪ねなければならないようになった。

 

そんな彼らの疑いの決定打になったのは、この事件だった。長女が両親の介護をひとしきり行うと、どうしようもない疲れを感じた。彼女が2階で休もうと階段を上り始めると、突然何かが自分の背中を押したように感じた。バランスを崩した彼女がとっさに手すりをつかもうとすると、その手まで払いのけられた感じがした。彼女はそのまま1階まで転がり落ち、腰を強打した。その大きな音をキッチンで聞きつけた妹がびっくりして駆け寄り、急いで彼女の手当てをした。見てみると腰の辺りがひどいあざになっている。

 

その日二人は、ついにオラン・ピンタル(ドゥクン=呪術師)に相談することにした。

 

オラン・ピンタルは、こう言った。あなた方のお父さんは、何かマジック・チャームのようなものを持っているのではないか。そんな話は初耳だった。オラン・ピンタルによれば、そのマジック・チャームはこう訴えている。私はあなたに、あなたの望むものを全て与えた。それなのにあなたは、私に何も、「見返り」をくれない。いつまで経っても、「見返り」をくれない。そこで私は、私の意志で、「見返り」を頂戴することに決めた、と。

 

しかもそのマジック・チャームに込められていた精霊は、一つだけではなかった。彼らはパートナーで、時として夫婦、時として師弟として立ち現れる。その主の方は数千年、従の方は数百年の年を経た精霊であった。そして彼らはその「見返り」の一つとして、マジック・チャームから離れ、前者はAさん、後者はAさんの妻の方へ乗り移ろうとしている。両親が体調を崩して以来、二人とも人が変わってしまったかのようにうすうす感じてはいたが、そう言われると確かに、納得が行く部分がある。

 

恐ろしいことは、それだけではなかった。ではAさんご夫妻が亡くなられた時に、その精霊は目的を達成して、去っていくのであろうか?残念ながらそうではない、とオラン・ピンタルは答えた。彼らは次の「宿主」を探すだろう、そしてその「宿主」は、当然彼らの肉親でなければならない。あなた方にもその可能性は十分にある。

 

冗談じゃない!、と彼らは訴えた。見たこともないような父のマジック・チャームのために、何で私たちまで巻き込まれなくてはいけないのだ、理不尽ではないか。しかしオラン・ピンタルは、それが彼らの目的なのだから、どうしようもない、と嘆息しながら答えた。

 

では、どうすれば良いのか。その質問に、オラン・ピンタルはこう答えた。ともかく、Aさん自身に決着をつけさせるのが最善だ、つまり、Aさんがその精霊を譲ってくれた人物にもう一度会い、その人物に精霊を引き取らせるのだ。しかし彼は脳梗塞を起こしてから、意識も明瞭ではない、そんなことが出来るのか、と訪ねると、そこは私は何とも申し上げられない、と彼は答えた。

 

では、もしそれを達成する前に、父が亡くなったら?その質問に対するオラン・ピンタルの答えは、更に恐ろしいものだった。あなた方は、Aさんの死後100日間は、絶対にAさんの近くへ近づいてはいけない、近づけば間違いなく、あなた方のうちの誰かが、次の「宿主」として選ばれるであろうから。

 

そんなことは不可能だ、何故なら葬儀をしなければならないから。どう考えてもそんなことは出来ない。それに対しても、オラン・ピンタルは何も答えなかった。

 

ともかくこの問題は、私が処理出来るレベルの話ではない。あなた方が私よりも強力なオラン・ピンタルに出会って、問題を速やかに解決出来るように、私も神に祈ります、そう言われた子供たちは、やり場のない感情を抱きつつ、帰途へ着いた。

 

実はこの話は、まだ決着がついていない。私は彼らとは非常に親しい間柄なので、日本という離れた場所にいて事の経過を見守り続けているが、非常にやるせない無力感を感じている(因みにこのような話は、気功や仙道でも非常に多く見受けられる。いわゆる「出神」というテクニックもその一つだが、この場合精霊は、術者の完全なコントロール下に入れなければならない。さもなければその精霊は独自の意識を持って活動を始め、最悪の場合主客が逆転し、術者を虜にしてしまう場合があるという。このAさんのケースも、広い意味でこの範疇に入るものと考えられる)。

 

日本でも、このような幸運を運ぶマジック・チャームだとかパワー・ストーンだとかいう類のアイテムは、相変わらず人気のようであるが、時としてそれらのアイテムが、然るべき「見返り」を求めてくる場合があるということを知っている人は、恐らくほとんどいまい。

 

実際に「見返り」を求められるようになる、その時までは・・・。


パワー・スポット探訪(11)〜二本松神社、五柱神社

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 週末、嫁が福島県二本松市にございますJICA二本松訓練所よりインドネシア語講師として招聘されたのですが、東京エリアを一人で出たことがないので不安だというので、私も同行することになりました。

 

 前日は、郡山へ一泊。郡山を訪れたのは、2回目です。1回目はかれこれ、20年前近く前ですね。その時は、湯殿山からの帰りでした。この時湯殿山で経験したことは、こちらでご紹介しています(「世にも奇妙な症例集エピソード3〜水子か?それとも兵士か?」)。非常に懐かしい感じがしましたね。

 

 今月は私達が結婚してから10年目の記念日でしたので、そこにある小さなベトナム料理店で、二人だけで慎ましいながらも、ディナー・パーティをしました。

 

 翌日の研修は午後。終了は午後5時前後という話でしたので、それまでは十分に時間があります。最初は福島在住の知人に会う予定にしていたのですが、あいにく時間が合わなかったので、私は久々に、パワー・スポット探しを行うことにしました。

 

 郡山から二本松までは、在来線で約30分。そこで嫁と別れた私は、付近の神社へと向かいました。

 

 まず向かったのは、駅の正面にある二本松神社。ここの石段はかなりきついですね。印を組まないと容易に登れない感じでした(笑)。でも本殿近くは、かなり広い境内でした。

 

 あいにくこの日はかなりきつい雨でしたので、写真を撮るのも一苦労でした。

 

 傘を差しながら写真を撮りつつ本殿へ向かうと、そこここで、ふわり、ふわり、と熱を感じます。肌寒いくらいでしたから、良く判りました。不思議なことに、私の場合なのですけれども、比較的強い熱を感じたのは、本殿ではなく、横にある御三社の方でした。間違いかも知れないと思ったので(僕はこれでもかなり疑い深いので(笑))、その辺りをダウジングよろしく3回くらい行き来しましたが、やはりこちらの方が強い感じを受けました。その時は本殿には参詣が出来ないようになっていたので、本殿に上がればまた違った感じがしたのかも知れませんけれども。ともかくその御三社の辺りは、とても良い感じがしました。

 

 やっかいなのは、この雨です。かなり強く降っていて、肌寒いくらいでした。あー神様、僕がこの辺りを歩いている間くらいは、雨を止めて下さらないかなー、と、境内にある神楽殿の隣のベンチで、ぼんやり考えていました。だからといって雨が止むわけはないので、仕方が無いと覚悟を決めて、次の神社へ向かうことにしました。

 

 ところが石段を降りて次の神社へ向かっていると、不思議なことにだんだんと、雨が止んできました。まさかとは思いますけれども、ともかく雨さえ止んでくれれば、歩くにも写真を撮るにも、有難い話です。止んでくれないかなー、止んでくれないかなー、と思いながら歩いていると、10分後には雨は完全に止みました。偶然とは恐ろしいものです。偶然です。偶然ということにしておきます。はい。

 

 次に訪れたのは、稲荷神社水神宮というところです。こちらは住宅街の真ん中にある、小さな祠でした。余談なのですけれども、時々お稲荷さんの近くを通ると体調が悪くなるとおっしゃる方にお会いすることがありますけれども、あれって何故なのか、非常に不思議に思いますね。僕はそういう経験がないので。九尾の狐とかあまり良い風に描かれない狐ですけれども、僕はそんな感じで悪い印象を持ったことはないです。因みに鳥取のうちの実家付近では、リアルの狐がうろうろするようになった模様です。人口減少の極北エリアですからね。さもありなん、と思います(苦笑)。

 

 面白かったのは、その一つ向こうに行った筋にあった、五柱神社という神社です。「ごちゅうじんじゃ」と読むのでしょうか?「ごはしらじんじゃ」と読むのでしょうか?一見するだけで、かなり変わった神社です。何が変わっているのかと言えば一目瞭然、鳥居の隣に「常念仏」と銘打ってある石碑があったからです。おまけに梵字まで書かれている。極端に言えば、モスクの中にキリストの像があるようなものです。何だこりゃ?と非常に興味をそそられた私は、石段を登って本殿まで参りました。

 

 本殿そのものは、普通の本殿でした。しかも草刈りもされていません。悪く言えば放置されている感じです(苦笑)。当然誰もいない。私はネットで騒がれているようなパワー・スポット系神社へ行くよりは、こういう場所でじっくりと周囲の気を感じる方が、性に合っていますね。本殿に腰掛けてみると、良い感じです。雨も完全に上がっていましたので、のんびりとリラックス出来ました。

 

 ふと目をやると、もう一つ石碑が見えました。そこには大きな字で、「南無阿弥陀仏」と書かれています。そのそばへ立つと、私の頭頂とおでこがガンガン鳴動を始めました。とても古そうな石碑です。もしかしたらかなり昔より、相当人々の尊敬の念を集めた石碑なのではないのかな、と想像します。とても温かい感じでした。

 

 ともかく気になるのは、神社としてあるにも関わらず、何故このような明らかに仏教系の石碑があるのか、ということです。しかも梵字まで書いてあるということは、恐らく浄土宗系ではなく、天台系ではないのだろうか。もしかしたら天台密教とかとも関係があるのかも知れない。境内には経歴について書かれているようなものもない。そこで帰りに、近くにあった二本松図書館を訪ねて、神社の由来が判る資料を調べてみましたけれども、そのような資料は見当たりませんでした。でも郷土史のことに関して何か調べたいことがある場合は、後日調べてご連絡頂けるというサービスがあったので、そちらを利用させて頂くことにしました。

 

 言っても場所は、二本松城の近くです。この辺りは戊辰戦争の時に、数々の悲劇が生まれた地域です。戊辰戦争からその後続く廃仏毀釈運動の影響で、お寺が無理矢理神社に変えられた、というようなことも、想像に難くありません。そのようなことも考えると、能天気にパワースポットがどうのこうのと言えたものではないのかも知れないな、そう考えた私は、取り敢えずそれで探索を終えることにしました(もう一つは、お話しした頭頂とおでこの感覚に関係があったのですが。これに関してもちょっと最近色々とございまして)。私は二本松駅に帰って、駅前の小さなレストランで醤油ラーメンを食べました。食べ終えて店を出ると、土砂降りになっていました。この辺り、ほんと不思議だと思います。

 

 嫁の研修もうまく行ったようです。JICAさんからは、是非また来てくれ、インドネシア語の講師がいないんだ、とか言われたそうですが、ちょっと遠いなあ、と帰りの新幹線で談笑しました。その時までに神社の由来がわかるのかどうか、気長に待つことに致します。

 

<二本松神社 

 

二本松神社

 

 

<二本松神社◆

 

二本松神社

 

<二本松神社>

 

二本松神社

 

 

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二本松神社

 

<稲荷神社水神宮>

 

稲荷神社水神宮

 

<五柱神社 

 

五柱神社

 

<五柱神社◆

 

五柱神社

 

<五柱神社>

 

五柱神社


Kさんとの対話(23)〜幽体離脱と、プラスの存在・マイナスの存在

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謹啓 K様

 

 幽体離脱のご経験がおありなのですね。それは非常に興味深いです。次回の教室では特別講師をして頂きたいくらいですね(笑)。教室にお出でになられる他の皆さんも、そういう現象とか体験したことおありなんでしょうかね?倉吉教室はスタートさせたばかりですので、その辺りはKさん以外、まだ詳しく伺ったことはありませんけれども。

 

 気功関連ですと、幽体離脱というのは、僕の中では最近興味がある分野ですね。インドネシアのパチャジャラン王国に関する伝説はお話しましたっけ?(「恐るべきインドネシア呪術の世界エピソード4〜消えた文明の謎」)。教室ではあまりにもたくさんしゃべり過ぎてよく覚えていないのですが(笑)。それが正に、幽体離脱に関連しますのでね。

 

 実際中国の気功に関する言葉にも、「我々が苦しむのは、肉体があるからである。肉体がなければ、どんな苦しみがあろうか」というものがありますね。これは実は哲学的な意味ではないのではないか、という気がします。もし空間に意識を刷り込ませることが出来るのだとしたら、肉体を消滅させてしまっても特に問題ない、みたいな。ではそれと幽霊とは、どういう違いがあるのか?そこら辺も面白い視点かな、と思ったりもしています。

 

 こんなことがありました。あるクライアントさんが肩凝りがひどいといって、うちにご相談にお見えになりました。一緒に練功も習いたいと。その時は冬の真っ最中だったものですから、練功中に寒い思いをさせてはいけないと思って、部屋の中で暖房をかなり強めにして、なおかつホットカーペットまで着けました。ブレーカー落ちるんじゃないかと思いましたけれども、大丈夫でした(笑)。そうしたら汗ばむくらいになったので、もう大丈夫だろうと思って、彼女を招き入れました。

 

 そして練功を始めたら、やたらと寒くなったんですよ。あれ?どこかの扉が開いたのかな?それとも木造ですから、どこか知らないところで隙間風が入り込み始めたのかな?と怪訝に思ったのですが、セッションをすでにスタートしてしまっているものですから、ともかくそのまま続けることにしました。

 

 ひとしきり練功が終わった後、今から思えば本当に失礼極まる話なのですけれども、僕が冗談半分で、「いや実は、お姉さんと一緒に練功を始めてからやたらと寒くなりましてね、お化けでも連れて来られたんじゃないかと思って、気が気ではなかったですよ」と笑いながら申し上げたら、彼女が言うには、その先月お父様が自殺なされたと。多分そのせいじゃないか、とおっしゃられるんですよ。それに練功の最中に僕が彼女に近づいて、彼女の気のエリアを確認するために、僕の手を彼女の肩周辺にかざしたら、何かがぱっと彼女から離れたと。お陰で肩が異常に楽になりました、と言われました。この時は僕はこのように、馬氏点穴療法の施術はしておらず、肩周辺の空気を払っただけです。よほどその何かにすれば、僕の手と相性が悪かったのか、良くわかりませんが(苦笑)。肩凝りなんてポピュラーな症状ですけれども、単に筋肉とか神経のアンバランスさだけが原因じゃないのかな、とか、その時から思うようになりましたね(似たような症例は、「世にも奇妙な症例集エピソード1〜大山のお土産」でご紹介している)。

 

 ですから、陰陽と幽霊に関してはおっしゃる通りだと思いますね。いわゆる幽霊の場合、それがマイナスだというだけで、エネルギー(あるいは場)という性質そのものは同じなのではないか、と想像します。その真逆で、熱の固まりにもお目にかかることがあります。大宮氷川神社とか大神山神社、いわゆるパワー・スポットで感じるものはそれですね。一番強烈だったのは高野山奥の院でしたが(笑)。そういうところで練功したりすると全身が物凄く熱くなって、その後やたらと体が軽くなるというのは、やはりあるのかなと。充電ではないですけれども(笑)。そこら辺僕も、そのようなエネルギー場の動きが見えたら、あるいは器具とかを使って可視化出来たら、よりよく判るんでしょうけれどもね。僕の場合は触覚ですので。なのでそういうのが見える人は、そういう意味では羨ましいです。Rさんに言わせれば、冗談じゃない、ということになりそうですが(笑)。

 

 座禅会ですか。それも面白そうですね。そう言えば来週現役のお坊さんがレッスンに来られます。数日前も来られたのですが、禅でいう禅定力というのは形而上学的なものではなく、フィジカルなものですよとお話して体験して頂いたところ、頭頂に強い衝撃が来てびっくりしたそうです(笑)。一緒に来られるのは霊感系の方で、この界隈で実際にサロンされている方です。みんなIさん経由という(笑)。一体どういうことになるか、次回の教室でお話し出来そうですね(笑)。 

 

 それではまた!

 

                                        中原勇一 拝


恐るべきインドネシア呪術の世界エピソード6〜移動する霊体

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四国に住む嫁の友人が、先だって久々に、嫁に連絡を取って来た。

 

私は、いつもの通りに世間話をするのだろうと思っていたが、どうも今回は違うようだ。何でも、私に相談したいことがある、という。

 

以前触れたように、彼女は元々、インドネシアでもかなり名の通った呪術師だった。ある大統領にも仕えていたくらいの人物なので、私なんかは到底足元にも及ばないのだが、そんな彼女が何故私なんかに、何を相談するというのだろうか。私はいぶかりながらも、話を聞くことにした。

 

ひとしきり内容を伺った後、ユウイチは占いが出来るんでしょ?是非占ってほしい、という。どうも嫁が、私が易占が出来るということを、以前彼女にしゃべったらしい。

 

だが、私は断った。一つ目の理由は、私の易占は自己研鑽のためにやっているもので、人様に指南するためにやっているものではない、ということ(私は、気功や仙道・禅の全ての鍛錬は、そのようなものだと考えている)。そしてもう一つは、彼女自身が強力な霊能者なのだとしたら、何故自分で自分自身の問題が処理出来ないのか、という素朴な疑問があったからだ。

 

ところが彼女は、こう答えた。彼女は、自分自身のために自分の霊能力は使えないのだ、と。しかもそれは、道義的な理由ではなかった。彼女が自分自身の能力を使おうとすると、意識のチャンネルを切り替えなければならないのだが、それをすると彼女に敵対している勢力に、居場所を教えることになるのだそうだ。

 

例えば、映画『ロード・オブ・ザ・リング』に、このような場面がある。主人公のフロドが身を隠すために、リングを指にはめる。ところが正にそのことが、敵に彼の居場所を教えることになってしまうのである。これはファンタジーでも何でもなく、我々の日常に深く入り込んでいるインターネットも、正にその通りであろう。ネットにアクセスするということは、自分自身の個人情報をネットに解放するのと同じことであり、悪意を持っている人がそれを悪用することなどは、赤子の手をひねるより簡単なことなのである。従って、どうしてもそれを自分でするわけにはいかないのだと、彼女は言う。

 

そんなことを言われたって、駄目なものは駄目だ。私だって易占の専門家ではないし、そのようなことをするのは恐れ多い、と断り続けた。実際私が易占をしたら、誰か後ろに立って易占をコントロールしているのではないか、と感じる時がある。正に会話でもしているかのように正確な結果が現れてくるので、恐ろしくなって主体的に易占をすることは、ずっと控えていたのだ。しかし彼女は諦めてくれなかった。ユウイチに絶対にこれ以上迷惑は掛けないから、と懇願されたので、私も諦めざるを得なかった。

 

私は、数年来使っている易占のアイテムを、押入れの奥から取り出した(東京に引っ越した時も、恐いと思いつつも、どうしてもこれだけは鳥取に放置しておきたくなかったので、持ってきていたのだ)。ひとしきり場所を清めてから、易占に取り掛かることにした。その時彼女も「手伝ってくれた」。彼女に関する情報がここで漏れては困るので、自分に付いている従者を一人送るから、と彼女は言う。その言葉が終わるか終わらないかの内に、私の背後にかつてのように熱の塊が現れた。私はそのような異様な環境で、易占を行った。

 

その結果を告げると、彼女はとても満足したようだった。その結果には「城」というキーワードがあったのだが、そのキーワードが彼女の中で、チェイン・リアクションを起こしたようだった。彼女は実際に「城」を見たそうだ。同時に、池に咲く美しい蓮の花を見たという。そしてある歴史上で著名な人物の名前を呼ぶ声が聞こえたそうだが、それだけで十分過ぎるほどの情報を彼女は得たそうだ(不思議なことに彼女は、その人物の本名を知らなかった)。彼女は相談して良かったと、何度も何度もお礼を言った。私は、そんなに大した内容だったのかな、と不思議に思ったが、それ以上詮索するのは止めておいた。

 

あの時現れた霊体は、その後どこへ行ったのだろう?彼女の元へと帰っていったのだろうか?それ以降小平に住む私の部屋の体感温度が、外気と比べて明らかに高いのだが、まさかまだここにいるのだろうか?


Kさんとの対話(22)〜体の歪み、『未知の次元』、陽神について

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謹啓 K様

 

いつも遠いところ有難うございます。

 

Rさんの反応は面白かったですね。おっしゃるように、単純な静電気ですと、すぐにビリッと来ますもんね。じんわりというのは確かに静電気では説明出来ないかも知れません。やってる本人がこう言うのもおかしなものですけれども(笑)。そこら辺、Kさんのような工学部系の方が冷静に観察なさって、そのようにコメント下さると、僕も勉強になりますね。

 

そうですか。僕は地元ですからあの界隈に行くとげんなりしてしまうのですが、やはり外から来られる方だと印象も違ってくるのでしょうね。視点を変えるというのもいかにも禅っぽいですけれども。そういうトレーニングにもあの界隈は使えるかも知れませんね(笑)。

 

体の歪みに関してですけれども、多かれ少なかれ人は体に歪みを持っているものです。直立歩行しますからね。ですから歪みがどうのこうの言われたところで、気にする必要は全くないと思います。ただそれが具体的な困った症状として現れてくると、それはそれなりに対処しなければなりませんけれども。僕の場合は、右肩と左の腰ですね。点穴知らなかったら結構大変だったかも知れません。そういう意味では僕の場合は、病気になった時が一番の勉強のチャンスだったりします。今まで使ったことのないツボとかテクニックとか使ったりして。この前インフルエンザに掛かりましたが、この時治療に使ったのは布団です。なかなか使えます(笑)。

 

『未知の次元』、懐かしいですね。像の間を見るというのは正におっしゃる通りで、内的対話を停止させるための修行ですね。実際はこういった「世界を止める」ですとか「死はアドバイザーである」ですとかそういった観点は東洋思想的にも極めて重要な概念なのですが(あるいは単に思想だけではなく、実用性という点から見ても極めて重要な発想なのですけれども)、そういったことは教室では議論するのは難しいでしょうね。皆さん心霊現象の方にご興味があるみたいですから(笑)。

 

そう言えば陽神のお話が出ましたけれども、嫁が最近変な話をしますね。実はこの前から時々陽神みたく、空間中に意識を刷り込ませる実験をしているのですが、僕が外出して明らかに不在の時に、僕の部屋で人の気配がすると。僕のお気に入りのStockhausenの音楽のようなものも聴こえる、と言い出しました。僕が、いいじゃん、あんた家に一人でいるのが恐いって言うから、意識だけ置いてんだとかいうと、余計に恐いこと言うな、と怒られましたね。そういうことってあるのかなと思いつつも、もし完全にそっちに意識を移すことが出来たら、修行完成かも知れないな、と思ったりもして(笑)。

 

明日のライブはちょっと早くて、11時10分かららしいです。『タターガタ祭』といって、そのイベント自体は初めてなんですけれども、色々出店もあったりして面白そうだな、と思っています。旧淀江町にある酒蔵を改造したイベントスペースらしいのですが、運営の皆さんすごく頑張ってらっしゃるな、と思います。僕も出来る限りのお手伝いはさせて頂きたいですね。もしよろしかったら是非(笑)。それではまた!

 

中原勇一


Kさんとの対話(21)〜電磁場の発生源としての心臓

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謹啓 K様

 

 こちらこそご無沙汰しております。暖かいなと思っていたら、急に雪が降り出しましたね。嫁が山陰の天気はわけがわからない、と言っています。我々はある程度こんなものかな、と思ったりもしますけれども、外国人には異様に見えるのかも知れませんね(笑)。

 

 教室のことはお気になさらないで下さい。逆にいつも遠路遥々申し訳ないな、と思っているくらいですから(笑)。まあでもあれは教室というよりは、皆さんこの二週間の間にどこのスピ系の集会へ行ってきたとかの情報交換の場だったりしますので、こっちも伺ってて面白いですね(笑)。

 

 しかしホントそういうのってたくさんあるんですね。びっくりします。もっとも僕もいくら否定しようとも、その片棒を担っているように見られているのでしょうけれども(笑)。一番多いのは、占い系ですね。前世を見ます、みたいな。そういうのって面白いのかな、と僕は不思議に思ってしますのですけれども、でも需要があるのでしょうね。本来ビジネスをするのであれば、その需要に合わせて業態を変えるのが王道かも知れないのですけれども、なかなかそういう気にならないですね。向いていないと思います。そういう意味では僕はオーソドックスな修行者だと思いますね。人様にどうのこうのよりは、山に篭って一人で技術を高める方が、性に合っていますね(笑)。

 

 心臓については色々なことが言われますが、電気制御の一種のマシンだと考えれば、それが脳から発せられる電流(あるいは電場)によって良くも悪くも影響を受けてしまうということは、あると思いますよ。先だってあるDVDを見たのですが、その中でいわゆるオーラを電場の一種と取らえる考え方が紹介されていて、そのジェネレータとして心臓を挙げていましたね。それは面白い考え方だと思います。やはり心と体は、電磁気学的な観点からしても、相互に密接に関連しているのだと思います。

 

 何はともあれ、教室に関してはご無理なさらず。またお目に掛かれますことを楽しみにさせて頂いております(笑)。 


Kさんとの対話(20)〜馬歩站椿功のコツ

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謹啓 K様

 

毎日寒い日々が続きますね。僕は基本的に寒い時期は苦手ですね。風景は綺麗なんでしょうけれども、気温がその綺麗な風景を楽しみに出かけてみるか、みたいな気を殺いでくれるので、結局楽しめずじまいです。ともかく春が待ち遠しいです(笑)。

 

さすが研究熱心ですね(笑)。馬歩は悪くないと思いますよ。太ももから腹部にかけて温かくなるというのは正におっしゃる通りで、そこを血液循環を司る脾経が走っているからですね。その意味では上手く練功されていると思いますよ。ただ膝が痛くなるというのは厄介ですので、その場合はあまり膝を曲げないようにした方が良いと思います。より正確に言うと、その温かい感覚をキープしたまま曲げられるだけ曲げてみると、いうのがポイントかも知れませんね。僕は深くは曲げませんけれども、足が冷えた時はその姿勢は確かに重宝しますよね。では次回お出でになられた時にやってみましょうか(笑)。

 

それと心臓ですけれども、もし気になられるのであれば、ともかく心臓に負担を掛けないような姿勢を心がけられてみてはいかがでしょうか。胸を張るのでもなく、猫背でもなく、その間くらいというか。ツボも悪くないと思います。つまり、臓器と考えてその周辺の余分な緊張を解除して楽にするアプローチと、電気機器と考えてそこの電流系統を調整するアプローチですね。あと僕がお会いした方々で、肋間神経痛と心臓病を混同していらっしゃる方もいらっしゃいましたので(確かに痛みそのものは素人では区別はつかないですよね)、過度にご心配されなくても大丈夫ではないかな、とも思います。

 

週末はライブというよりはジャズ喫茶ですけれどもね。僕はBGMを提供するだけで。ただやはりこんなところでこんなことしてみたって始まらないかな、という思いが払拭出来ませんので、いつまで続くかは未知数ですが(笑)。

 

何はともあれ、ご自愛下さい!

 

中原勇一


Kさんとの対話(19)〜陰気を陽気に転じる方法

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 お怪我をされたのですね。くれぐれもお大事になさって下さい。この時期寒いですから、どうしても体がスムーズに動かずに思わぬトラブルを引き起こしたりしますからね。

 

 教室をそのままパーティ化するというわけではないですけれどもね(笑)。もちろん両者は明確に分けますよ。具体的には第3週だけ、教室は午後4時きっかりにスタートして、午後5時過ぎに終えて、イベントの準備に取り掛かる、という感じですね。もっとも準備って言ったってPCセットするだけですから、5分も掛からないですけれども(笑)。Kさん達は音楽好きなので、彼女達にもDJしてもらおうかな、とも考えています(笑)。

 

 実はこれは音楽という僕の趣味を媒介にしていますけれども、完全に気功の活動の一環です。要するに気が作り出す場の問題ですね。はっきり言って、僕の地元は暗過ぎる。特に僕の住んでいる辺りなんか、陰気の塊みたいなものですから(笑)。そこでどうやって陽気を作るか、という問題に、僕はこっちに帰ってきてから、ずっと取り組んできました。その一つの試みとして一切気功やヨーガに触れたことのない初心者の方向けの教室を始めたわけですが、それをもう少し拡大してもいいかな、と思ったわけです。実際色々なところに出没して皆さんの話を聞いてみると、こんな閉鎖的な場所には耐えられない、みたいなことを言っている人って、結構多いんですね(笑)。そういう方は大抵自称アウトサイダーで、こっちに友達いないから休暇の度に都市部とか海外とかに行くとか言ってらっしゃる。そういう方に、この地元ってやたら暗いですよねみたいな話を真正面からすると、結構共感してもらえる。僕はその辺り一切忖度しないですから(笑)。

 

 これは正に、地方固有の問題ですね。こんなのやだと本心は思っているのだけれども、周りの空気からそれを口に出すのがはばかられる。同調圧力という奴ですね。思ったことが言えない、というのは、正しく抑圧です。そういう抑圧下に置かれていれば、誰だって鬱病になりますよ。あるいは真反対で、やたらハイになったりして(笑)。従ってそのアンビバレンスな感情をオープンにする必要があるわけですが、そのためには環境が極めて重要です。ですからこれはイベントと言っていますけれども、集団精神分析みたいなものですね。あるいは文字通り邪気祓い(笑)。実際現状に対して、もっと皆さん怒っても良いと思うんですけれどもね。あんなに理不尽な扱いをされているのに。それをせずに地元って凄いよね、ポテンシャルあるよね、素晴らしいよねみたいなリップサービスを無理やり演出したりするから皆さん更におかしくなって、安定剤が手放せなくなるわけです(笑)。臭い物に蓋という言い方がありますけれども、ダークサイドから目を背けて建設的なことなんて出来るわけないですからね。そういう一種の社会実験のつもりでやるつもりです。駄目なら止めりゃ良いだけのことですし(笑)。

 

 この辺りは、気功の本質にも関係があります。気功のポイントというのはぶっちゃけどうやって陽気を取り入れるか、なのですが、そのやり方の一つはシンプルに、陰気を避けることです。パワーストーンとかも同じ発想なのですが、これは誰だって簡単に出来ますね。ただそれは第一段階です。その次のステップというのは、陰気そのものを使ってそれを陽気に転じることです。これは実際、かなり気が判っていないと難しい(因みに時々青白い顔をして、明らかに陰気を放っているアイテムをパワーストーンだと言って身につけていらっしゃる不思議な方をお見かけしますけれども、そう考えるとこういう方々は、実は凄腕の修行者なのかも。ヒルに血を吸わせながらそれ以上のスピードで血液を造成する修行みたいな(笑))。チベットのゾクチェンとかでわざわざ夜中墓地に行って修行をするというのも、同じ発想ですね。でんでん太鼓ぽこぽこ鳴らしながらわざわざそこら辺にいる邪霊を呼び出して、そいつらを片っ端から捕まえて仏教の守護神に変えていくみたいな。すごく良く出来ている修行方法だと思いますよ。そういえばこの前来られたクライアントさんから、一人でいると突然目の前の空間が裂けて、そこから異様な手が伸びてきて私を引きずり込もうとするのだけれどもどうしたら良いか、という相談を受けたのですが、僕は、その手を捕まえてこっちに引きずり出したらいいじゃないですか、と答えました。きょとんとされていましたが、これは極めて重要なポイントです。それってあまり理解している方って少ないみたいですね。その方本職だったのですけれどもね。多少いわゆる霊感があるからといって、それを商売にするような真似は止めた方が良いです。それで薬漬けになっている人、何人も見てきましたからね(苦笑)。

 

 ところで仰向けになって行う練功ですけれども、もし丹田が温まりにくいということでしたら、若干膝を上げられると良いと思います。僕も同じですね。仰向けになる時は必ず膝を上げます。恐らくこれは仰向けになることで大腿部の動脈が圧迫されて、血液循環が阻害されるからだと思いますね。あとTREトレーニングというのは初めて聞きましたが、トラウマが足と関係があるというのは理解出来ますね。精神的に緊張されている方は足もガチガチだったりしますから(笑)。今の気功教室で行っている型に下半身の動きがあまりないというのは鋭いご指摘ですね。実はあれは意図的なんですけれどもね。あかり舎さんは木造ですので、あまりドタバタやると下のカフェにお客さんがおられたらまずいかな、と思ったもので。もっとも僕は普段は坐禅しか全くやらないですけれども。任脈と督脈の位置を正確に合わせれば、手足の先まですぐに温まりますからね。でもご参考までに、次回からKさんのご意見も容れて、足を使う練功もおいおい混ぜていくことにしますね(笑)。

 

 というわけで、くれぐれもご自愛下さい!


Kさんとの対話(18)〜特殊能力とプラグマティズム

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 いつも遠いところ有難うございます。フェスは散々でしたね。お出で頂かなくて正解でした(笑)。実際主催者さんも、やりたくないんだったらやらなかったら良いのに、と思いますけれども。毎回来場者はおろか参加者まで減ってきていて、それに対して全く対策が打てていないという。あるいはそもそもそれが問題だと思ってらっしゃらないのかも知れませんけれども。取り敢えず皆さん的に今回も成功でしたみたいなこと思ってらっしゃるのでしたら、何も言えないですけれどもね。じゃあまた来年この時期に会いましょうみたいな山陰特有の農村社会的ループが延々と続くみたいな。一緒に参加した嫁とも、来年は出るのはやめよう、と話しているところです(笑)。

 

 そうですね、お話のことは、多分このフェスにも関係ありそうな気がしますね。要するに、軸をどこへ持ってくるかです。その軸に照らして(一つでは比較にならないので)二つの点を比較する。そうするとその次に、どうすれば良いのか見えてくる。これは単純に数学的ロジックの問題なのですが、それを邪魔するのが、感情というファクターです。そしてその感情の由来は、言わずもがな自己意識=EGOですね。

 

 ですから、特定の能力を開花させるにしても、さてその「開花させる」とはどういうことなのか、これを考えている人は実際少ないと思いますね。僕の経験上も。おっしゃるように、隣の人の腰の痛みが伝わってくるというのは、知覚的に面白い現象だとは思いますけれども、それ以上は僕もコメントが出来ないですね。何故ならおっしゃられるように、それ自体ではあまり役に立ちそうではないですから。僕自身だったら話は別ですよ。仕事に使えますからね(笑)。だとすれば必要もないのに、いたずらにそういう知覚能力を高めてどうするのだ、というのは、素朴かつ本質的な問題ですね。だから仏陀も、ヨガのトレーニングを放棄したわけです。前世というものもそうですね。前世がどうだったとかは、僕は興味を持ったことは全くないですね。ある種の催眠療法の中で前世的なイメージを使うやり方があって、それはそれで効果があるそうですが、僕はあまり興味が持てないですね。催眠であればむしろエリクソンがやっていたように、催眠の素振りを全く見せないのに相手をトランスに入れるだとかの方に興味がありますね。もっとも中国を訪ねた時に、行く先々の風景があまりにも見たことのある風景だったので、それはそれで前世というものはあるのかな、とか思ったりもないこともありませんが。また、嫁と結婚するに当たって訪ねた嫁の家の近くの風景が、学校の場所から周囲の店舗の配置まで全く夢で見たのと同じだったのには衝撃でした(笑)。

 

 ぶっちゃけ生体エネルギーなどは、直接的に知覚出来なくても問題ないかも知れませんね。僕だってオーラなどは見えないですから。触覚で知覚は出来ますけれども。見えたら嬉しいんですけれどもね〜。聞くところによると、僕の周り面白いらしいですから(笑)。Kさんの場合は器具をお持ちですからそれで十分じゃないですか?(笑)。問題はそれをどう使うかですね。僕がプラグマティズムにこだわるのはそのせいなのですけれども。脳の錯覚というお話もありましたが、それを言うと人間は意識しているものは全て錯覚以外の何者でもないわけで。はい、現実なんてありゃしないですよ(笑)。ただまあ「人間」社会で生きる必要性からその錯覚を「ある程度」現実だと思わなければならない部分もあるわけですから(だから大乗仏教は色即是空だと言うわけですけれども)、まあそこら辺どうやって折り合いをつけるかですね。

 

 というわけで僕の目下の目標は、オーラが見えるようになることですね。取り敢えずそのトレーニングは今宵もやりたいと思います。新商品開発の一環として。イノベーションです(笑)。


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