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世にも奇妙な症例集エピソード7〜ある雪の日の出来事

 
 2007年の年の暮れ、私は駅前のKさんから、施術の依頼を受けた。

 Kさんと言えば、その数ヶ月前に腰痛で、うちに相談に来られた方だ。私は、また腰痛が再発したのかな、と思ってよく尋ねてみると、そうではないらしい。実は、Kさん本人ではなく、年末に合わせて帰省してこられた娘さんが、私の話を聞いて、是非施術を受けたい、と言っている、とのことであった。

 その日は山陰地方に、豪雪注意報が発令されていた。夕方頃から本格的に降り始めるようだが、日中はさほどではない、とのこと。私は車で、Kさんの自宅まで出かけた。

 Kさんの自宅は、駅前にある大きな邸宅だった。私は子供の頃から、その前を頻繁に行き来はしていたのだが、当然のことながら、邸宅の中には入ったことはない。頻繁に出入りしていたのは、むしろ、向かいにあるタイヤキ屋の方であった(笑)。

 玄関に入ると、Kさんが出迎えてくれた。古風な作りの、立派な玄関である。かなりの旧家であることは、十分に想像出来た。私は挨拶を済ますと、早速上がらせていただくことにした。

 玄関を抜けると、そこは応接間になっていたのだが、そこには大きな仏壇があった。私は、何やら胸騒ぎがした。

 私は、出されたお茶をいただきながら、娘さんが来られるのを待った。

 すると、娘さんが入ってこられた。私は一目見て、彼女の周りの、ただならぬ空気を感じた。

 彼女の訴えは、一応、慢性的な内臓の不調と全身の冷え、そして不眠であった。極めてありふれた症状。しかし、それは恐らく表面的なものに過ぎないだろう、と私は考えた。彼女はそれ以上、何も言わない。取り敢えず、まずは全身の経絡を拝見させていただくことにした。

 私の予感は、ほぼ当たっていた。全身の経絡を見ても、若干の不活性は見られるが、特に問題とするほどのことでもない。若い女性であれば、良く見られる程度の状態である。彼女はその間、ずっと天井の一点を凝視していた。その目は、異常な光を放っている。そばには妹さんと、Kさんもいた。彼女達は、私の施術を、興味深そうに眺めていた。

 施術を終わって、私達は向き直った。私は、「ざっと拝見したところ、特にお体の方には、目立った異常は見られないようですね」と話した。彼女はその瞬間、ごくりと唾を飲み込んだ。そのまま私は続けた。「問題があるのは、心の方ではないですか?」

 すると彼女は、わっ、と泣き出した。妹さんもKさんも、あっけに取られている。私は、彼女からそれ以上、細かい話を聞くことはしなかった。私はただ、そのような場合には、どのような対処をした方が良いのか、ということだけ話した。彼女は泣きながら、黙って私の話を聞いていた。

 外で、激しい雷が鳴り出した。山陰地方ではこのような雷を、「雪興し」と呼んでいて、これが鳴り出すと必ず、猛吹雪になるのだ。私は急いで帰り支度をして、予約を受けていた次の日の施術の時間を決めると、失礼することにした。外ではすでに、激しく雪が降り始めていた。

 私が帰ってしばらく、彼女は、このような施術が果たして本当に効果があるのか、とだいぶ疑問に思っていたらしい。何故なら私は、皮膚に軽く指を乗せていただけなのだから。自分がかかっていた整体やマッサージとは全く趣が違ったので、かなり戸惑いを感じたようである。

 しかし、変化は突然訪れた。

 その夜の9時過ぎ、彼女は突然ひどいむかつきを感じ、トイレへ駆け込んだ。その後、激しい嘔吐が続いた。やっとの思いで自室まで辿り着くと、倒れ込むようにしてベッドへ入った。

 次の朝目が覚めたのは、午前7時。今までは考えられなかったことだが、その間一度も、目が覚めなかった。不眠は完全に消失したようだ。そして体も、昨日までの状態とは打って変わって、非常に軽い。

 その日の二回目の施術の時に、私はその報告を聞いた。確かに顔色は、昨日よりもずっと良い。施術を行っている時、彼女は、私が経穴に指を乗せると、内臓も一緒になって動きますね、という。どうやら経絡の通りも、ずっと改善している。私は施術と同時に、一指禅功の指導も行った。

 その時初めて聞いた話だが、彼女もまた、いわゆる霊感が異常に強いタイプだったようだ。一番ひどかったのは、沖縄に旅行に行った際に、第二次世界大戦時多くの犠牲者が出た場所の近くを通った時のことだったという。いわゆる憑依されたような状態になり、悪夢にうなされたり幻覚を見たりする奇怪な現象が、約数ヶ月近く続いたという。

 私は、そのような場合の解除の仕方も、教えておいた。

 年が明けた1月2日。彼女は滋賀へと帰っていった。Kさんから、「娘が、お陰様で家族みんなで、晴れ晴れとした、良いお正月が過ごせました、と礼を申しておりました」、との報告を受け取った。

 そのような報告を聞くのは、とても嬉しいものである。

<追記>

 この症例は、第一回目のエピソードと同じく、いわゆる「霊障」と呼ばれているものと似た現象だと考えられるが、私はこの時、ディスカッションの中でその原因を探ったり、あるいは「霊視」などと呼ばれる行為を行ったりなどは、一切行っていない。

 これは、このような現象も、そのような「複雑な」ことをしなくても、物理的な経穴の操作で簡単に解消が出来ることを示す好例であり、この場合の点穴療法は、第五回目のエピソードと同じEFTと、通底するものがあるのかも知れない。





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at 13:24, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, 世にも奇妙な症例集

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世にも奇妙な症例集エピソード6〜ドラゴンへの道

 
 2004年のある日、私は、一本の問い合わせの電話を受け取った。症状は腰痛。

 詳しく聞いてみたところ、どうやら骨には異常はないらしい。だとすると、神経などの機能性の障害である可能性がある。

 その日の午後は比較的余裕があったので、早速相談を受けることにした。

 予約の時間であった午後3時。玄関の呼び鈴が鳴った。

 おもむろに私が扉を開けると、そこに立っていたのは、まさに筋骨隆々といった感じの若者だった。私は一瞬、ジャッキー・チェンかと思った(笑)。

 しかし、私のその予想は、当たらずとも遠からずであった。

 聞くところによると、幼い頃から中国拳法に興味を抱いていた彼は、日本では優秀な師匠に巡り会うことは不可能、と考え、中国語も全く話せない状況にもかかわらず、単身中国に乗り込み、幸運にも出会うことが出来た師匠の下で、約8年間、拳法の修行を行っていたらしい。因みに、彼の学んでいた拳法は『八極拳』と呼ばれ、その凄まじい破壊力から、中国最強の拳法の一つ、と考えられているものである。

 彼はそこで、師と寝食を共にしながらメキメキと腕を上げ、しまいには、中国国内で行われたさる大きな武術大会で、何とチャンピオンにもなったらしい。その大会の主催者は、彼が実は日本人であったと知って、大いに感激し、彼の手を硬く握り締めながら、是非日中の武術交流の要となって、今後も活躍してくれ、と祝福してくれたという。

 しかし、彼の師のトレーニングは、かなり厳しいものであったらしい。大雪の降る中、屋外で、馬歩站椿功を数時間させる、というようなことは、ざらであったという。その結果、彼はついにひどい腰痛に苦しむようになり、それ以上の修行を続けるのが困難となって、数年前に帰国したのだという。

 このような中途半端な状態で修行を中断せざるを得なくなり、師匠にもその大会の主催者にも、申し訳が立たない、何とかしてこの腰痛を治して、もう一度修行の道へ戻りたい、と語る彼の姿が、とても印象的であった。

 取り敢えず、レントゲンの結果から見ても、骨には何らの異常が認められない、ということなので、恐らく下半身の、胆経・膀胱経という二つの経絡に、何らかの不活性が発生しているのかも知れない、と考えた私は、それらに対して重点的に施術を行った(因みに馬歩站椿功は、かなり慎重に行わなければ、これらの経絡に、著しいダメージを与える可能性があるので、注意が必要である)。

 また彼の師は、「お前は気というものを全く理解していない」と、常々言っていたそうだ。そして八極拳の基本功として、小周天、大周天といった周天功も、平行して教えてくれたようだが、それでも彼には、気の感覚が全くわからなかったらしい。その感覚が少しでもわかるようになりたい、との申し出であったので、私は一指禅功の坐功と、無為気功法の站椿功を、お教えすることにした。

 彼に站椿功の姿勢を取らせた後、私はいつものように背後に立って、うちの師匠の真似をして(笑)、命門に指をかざした。すると彼は、妙なことを言い出した。「・・・これは、どうしたら良いのでしょうか?」私は尋ね返した。「・・・と言いますと?」

 彼が言うには、背後からものすごい圧力を感じて、前に押し出されそうになっているらしい。このまま姿勢を保持するように努めた方が良いのか、それとも圧力に逆らわずに前へ進んだ方が良いのか、どちらが良いのだろうか、と彼は私に尋ねた。私は、命門に指をかざすのを止めた。

 レッスン後、一息ついた彼は、こう嘆息した。「私の師匠がああ言っていた理由が、今日初めてわかりました。これが気というものなのですね」。彼はとても嬉しそうであった。

 あれから数年。私は住居を大阪から鳥取へ、そして東京へと移したので、彼にはそれ以来会っていない。

 しかし、彼のような聡明かつ実直な人物であれば、東洋の身体技法の可能性を、どんどんと拡大してくれるに違いない。私は心から、そう確信している(余談であるが、東京に転居してから、彼の弟子と称する人物の訪問を受けたことがある。東京に行った際には、是非うちを訪ねるようにという話が、彼の方よりあったらしい。その彼は今大阪で、かなり高名な整体師として活躍しているそうである。私としてもそのような話を聞くのは、とても嬉しい。ただ一指禅功は彼にとっては強烈過ぎたようで、それ以来練功はしていないそうである。それにまつわる話も非常に興味深かったのだが、ここではそれには触れないでおく)。



・・・それと似たような例。

 私は友人に連れられて、尼崎にある彼女の友人の映画編集者の家を訪問した。

 私は彼とは初対面であったのだが、お互いに、ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画に影響を受けた、という話から、話題は武術の話へと転じた。

 彼は、養神館系の合気道を習い始めて、数年になる、と話していた。養神館といえば、私も、創始者塩田剛三氏の数々の驚くべき武勇伝を耳にしたことがあり、非常に興味をそそられた。彼にしても、私が語る『一指禅功』にまつわる数々のエピソードは、とても興味深かったと見える。

 しばらく話をした後、「お茶でも入れましょう」と言って、彼は席を立った。彼はペットボトルのウーロン茶と紙コップを持って、帰ってきた。そして紙コップを私に手渡すと、それにウーロン茶を注ごうとした。

 そして彼は、そのまま動かなくなった。

 彼がお茶を注ぐ姿勢をしたまま動かなくなったので、不思議に思った私は彼に、どうしたのか、と尋ねた。すると彼が言うには、私の方から強い風が吹き付けているように感じて、身動きが取れない、まるで台風の中を、風上に向かって進んでいるような感じだ、と彼は答えた。私は一瞬、彼女と顔を見合わせた(彼女は特に、何も感じなかったらしい)。

 仕方がないので私は、紙コップを下において、彼から離れることにした(笑)。



 昔の武術家は、自分の周囲にあるものに対して、ただならぬ知覚を働かせていた。いわゆる、「殺気を感じる」といった類のものである。

 また、武術研究家としても高名な甲野善紀氏は、その著作の中で、昔の剣士は、死ぬか生きるかの立会いの時、相手の切っ先がわずかに動くのを、その音で判断した、というようなことを述べている。

 やはり、武道などの特殊な身体トレーニングは、そのような知覚能力をも発達させるものなのだろうか、と思わせられるような、二つのケースであった。





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at 11:24, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, 世にも奇妙な症例集

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世にも奇妙な症例集エピソード5〜二人の精神科医と私

 
<2007年6月29、30日>

 K氏は、福岡県久留米市在住の、新進気鋭の精神科医である。

 彼は、実際の臨床において、EFT(Emotional Freedom Technique。感情開放テクニックとも呼ばれる)という、皮膚のタッピングによってクライアントの過去のトラウマの解消を図るという、最近開発された代替療法の技術を応用して効果を挙げているのだが、ある日彼は、偶然に、それとよく似た技法が、中医学の中にも存在していることを知った。それは、『点穴療法』と呼ばれるものらしい。

 早速彼はその技法について、インターネットで調べてみることにした。

 しかし同時に、その過程で怪しげな宗教じみたサイトにアクセスしてしまったらやっかいだな、と考えた彼は、そのEFTとも関係が深いと考えられる「電子伝達系」という言葉と「点穴療法」とを、同時に検索ボックスの中に放り込んでみた。どうせ何もヒットしまい、と考えながら・・・。

 そして出てきたのが、私のサイトだったという。

 こうして、我々のディスカッションが開始された(因みに、私がK氏に当てて出したメールの数々は、全てこのブログの、『気功法の応用〜ある精神科の先生との対話』というシリーズで、公開している)。

 そんなある日、私は彼から、ぜひ久留米まで来て実地に指導していただけないだろうか、とのオファーを受け取った。元来旅行好きな私は、二つ返事で、このオファーを了承した。逆に彼の方は、大の旅行嫌いであった(笑)。

 その当時在住していた鳥取県琴浦町より、在来特急と新幹線を乗り継いで、約6時間。おまけに折りしも、ゲリラ豪雨が通過点である広島を直撃してだいぶ足止めを喰ったが、何とか無事に私は久留米へと到着した。

 彼はまず私を、久留米名物の焼き鳥屋で、もてなしてくれた。

 ほろ酔い気分で彼の自宅へたどり着くと、早速私達は、一指禅功のトレーニングを開始した。彼はなかなか気感も鋭いようで、小周天などの簡単な行は、ほんの10分程度でマスターされた。「やはり、本やDVDで独習していたものと、実地でのものとは、全く違いますね」と、彼はたいそう、ご満悦な様子であった。

 異変はその夜、いきなり起きた(らしい)。

 次の日の朝目を覚ますと、彼は私を見て、けげんな顔をしている。何か起こったのだろうか、と私も奇妙に思った。しかし、彼の口から出た言葉は、もっと奇妙なものであった。

 「中原さん、昨夜、私の寝床へ来ました?」「・・・は?」

 彼が言うには、真夜中寝ている最中に、私が突然枕元に立ったので、驚いて飛び起きた、というのだ。「あれは絶対に、中原さんだった」と彼は言う。しかし私には、夢遊病のような状態で、彼と彼女とのナニを覗こうなどという高尚な性癖が、あるわけではない(と信じたい)。私はリビングを挟んだ向かい側の部屋で、一人で眠っていたのだ(と信じたい)。まさか私が眠っている間に、私の魂が、忽然と抜け出したわけでもあるまい。彼は精神科医らしく、彼の皮膚が、眠る前に彼に対して私が行った点穴療法の感覚を記憶していて、それが無意識下で、突然皮膚記憶という形でよみがえったのではないだろうか、と、冷静な解釈をしていた。

 その日の日中、私は彼に、久留米近辺の名所を案内してもらった。その一つに高良大社があって、実はその奥の院でも奇妙な現象が起こったのだが、そのことはいずれまた講を改めて、記すことにしよう(『パワー・スポット探訪(5)〜高良大社』)。

 そしてその夜の、第二セッション。この時に新たに加わったのは、彼の同僚の精神科医、F女史であった。彼女はその日、私がやって来るというので、わざわざ伊万里への出張を早目に切り上げて、久留米まで帰ってきたらしい。有難いことである。

 彼女は、大阪市立大学で博士号を取得した、同じく新進気鋭の精神科医なのだが、同時に、昔からいわゆる心霊現象と思しき体験を、頻繁に経験している人物でもあった。

 私にとって最も興味深かったのは、何でも14歳の時、島根県の出雲大社に参拝に行った祖父にもらった、お守りのエピソードだった。そのお守りを手にした時、彼女は何やら掻き立てられるような、異様な感覚を覚えたらしい。彼女は、このような異様な感覚をもたらすお守りを生み出す出雲大社とは、一体どのような所なのだろう、と強い好奇心を抱き、何とその直後、たった一人で、家出同然にして、出雲へ向かったらしい。そして、本殿周辺に漂うただならぬ霊気に導かれるようにして、彼女は海岸へと向かった。その海岸とは、日御碕。言うまでもなく、太古の昔、本当の出雲大社の社殿が、立っていた場所である。相当感動的な経験だったらしく、それを語る彼女の眼は、うっすらと涙さえ浮かべていた。

 そのようなF女史が練功に加わったら、その場は一体どうなるだろうか、私は非常に、興味をそそられた。恐らくK氏も、同じ思いであったに違いない。

 K氏とF女史を目の前にして、私は一指禅功の手順を説明した。「軽く目を閉じて、鼻先とへそのラインを真っ直ぐにして、手のひらは力を抜いた状態で、ひざの上に置いて・・・」。すると彼らは、ほぼ同時に反論した。「中原さん、手がありません。ひざもわかりません」・・・。

 もちろん言うまでもなく、彼らの身体が本当に消滅しているわけではない。そんなことができたら、完全に西遊記の世界である。彼らの身体は、ちゃんと私の目の前にある。つまり彼らが言うには、全身が完全に痺れ上がってしまって、目を閉じた状態では、自分の体がどこにあるのか、全くわからない、というのである(因みに同じような現象は、今でも施術中あるいは教室の中で、頻繁に起こる)。

 しかし、それは単に、始まりに過ぎなかった。

 突然F女史が、上半身をフラフラとさせたかと思うと、その場にバタッと倒れこんだ。私は驚いて近づき、「だ、大丈夫ですか?」と声をかけると、「大丈夫です。でも、全身が言うことを聞きません」と彼女が答えた(興味深いことにこのやり取りは、完全にシラフで行われている。つまり彼女は、トランスのような酩酊状態にあるわけではないのである。この点から考えても、気功と催眠とは、ほとんど関係がない、と考えられる)。彼女が言うには、何か私の方から熱の塊のようなものが彼女の中に入り込んで、完全にコントロールを奪ってしまっているらしい。彼女が練功を始める前から、「何やってんですか?何やってんですか?」と私にしきりに尋ねていた意味が、私にもやっとわかった。言うまでもなく私は、何もやっていない(より正確には、何もやっているつもりはない)。

 そのうち彼女は、バタンバタンと部屋中を転がり始めた。もう練功どころではない。K氏は隣で、完全にあっけに取られている。私も同様である。典型的な自発動ではあるが、ここまでド派手なものは、私の今までの症例でも、はたまた師匠の教室でも、お目にかかったことがない。当然私は師匠から、このような激しい自発動が起こった時の、対処の仕方を聞いてはいなかった。そんな私ができる唯一の現実的行動とは・・・、彼女から身を離すことであった(笑)。

 私は彼女から3メートル以上離れ、ソファの陰に隠れた。「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」と声をかけ続けながら・・・。

 そうこうしているうちに、自発動は収まった。

 しばらくその場にいた4人(我々3人と、K氏の彼女)は、文字通り茫然自失の状態で、誰も口が利けなかった。

 最初に口を開いたのは、K氏だった。「・・・今のこと他人に話したら、俺達完全に、隔離病棟行きだな」。誰もその言葉に、反論する者はいなかった。

 少しお茶を飲みながら休憩をした後、今度は点穴療法の実演に移った。

 しかし案の定、この時も、強烈な反応を示したのは、やはりF女史であった。私は、もしかしたらまともに施術した場合、彼女には私の気は強過ぎるかも知れない、と考え、軽く経穴をタッピングするだけにとどめておいた。しかし、結果は同じだった。彼女が言うには、私がタッピングした経穴上の刺激は、私が指を離しても、ジンジンと残っている、という。そして湧泉という足の裏にある経穴をタッピングした時、ものすごい衝撃が、彼女の体を捕らえたらしい。彼女は完全に、エビ反り体勢になった。いわゆる督脈に、気が一気に流れ込んだようで、それが脊柱に与える刺激によって、背骨がコキンコキンと鳴る音は、そばにいた K氏にも聞こえたらしい。起き上がってみると、それまで猫背気味だった彼女のスタイルは、とても美しく矯正されていた(このことからも、点穴療法と、いわゆる整体やカイロプラクティックとは、やり方も効果も全く異なるパラダイムに属するものである、ということがわかる)。

 華々しいセッションを終えた後、彼女は、終電で帰っていった。そして私も次の日の昼過ぎ、久留米に別れを告げた。



 ・・・あれから数年。K氏は相変わらず勤務先の病院で、気功の練習を続けているようである。

 そして私はそんな彼から、再度の気功指導のオファーを受けている。恐らく彼らと再会するのは、秋以降になることだろう。

 その際、今度は一体どのような現象が起こるのだろうか。私としても、今からとても楽しみである。




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at 12:17, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, 世にも奇妙な症例集

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世にも奇妙な症例集エピソード4〜飛び回るコウモリ、二匹の白い大蛇

 
 今回もまた症例ではないのですが、性懲りもなく再訪した湯殿山での体験より・・・。



<2003年10月26日>

 秋になると、湯殿山に行きたくなるのだ。

 この年は、ちょうど私がそれまで7年間住み続けてきた東京を離れ、関西へと一時帰還した年。

 遠く離れてしまったゆえ、もう当分行くことはあるまい、と考えていた湯殿山に、秋が深まるにつれ猛烈に行きたくなったというのは、あの得体の知れない連中に、誘われたせいであろうか。

 大阪から東北、山形へ。東海道新幹線を使って一旦東京まで出て、そこから山形新幹線に乗り換える、というパターンもあったが、何だかコストが馬鹿にならなくなりそうなので、今回は、難波から山形行きの高速バスを利用することにした。よせばいいのに。

 何のついでだったかは忘れたのだが、難波まで見送りに来てくれた友人とともにとんかつを食べた私は(全然精進料理ではないのがミソ)、高速バスへと乗り込んだ。

 ところが、乗り込んでわかったのだが、難波から山形までという長大な距離にもかかわらず、休憩はたったの一回だけ。つまり、十四時間近くほぼノンストップというわけだ。おまけに夜行バスなので、午後十時には完全消灯。ブラインドを開けて外をのぞこうとした私は、後ろのおっさんに怒られた。振動のため寝付けない、物理的にも身動きが取れない状態で、高速バスは山形へ向かってひた走る。

 無事山形駅へ到着した時には、私は完全に、意識朦朧としていた。

 そこから今度は、鶴岡行きの高速バスへと乗り換える。

 前回訪問したときは、羽黒山で二泊して、湯殿山で一泊、というパターンだったので、今回もそれを踏襲することにした。

 羽黒山で宿として選んだのは、『奥井坊』という宿坊。ここのおばちゃんは、沖縄出身である。トロピカルな沖縄から、冬には完全に雪に閉ざされる羽黒へ、という人生も、なかなかオツなものなのかも知れない。

 二日間掛けて羽黒山を十分に堪能した後、私は湯殿山へと向かう。

 出立の朝、奥井坊のおばちゃんとお茶をいただきながら、前年に湯殿山で出会った、不思議な経験の話をした。

 興味深そうに聞いていたおばちゃんは、こう感想を述べてくれた。「そうですねえ。あの山は昔から、修行の途中でノタレ死んだ亡者どもの霊がウジャウジャしてるでしょうから、お客さんだったらそういうことはあるかも知れないですねえ。」

 湯殿山へ向けて今まさに旅立たんとする私に、これ以上のはなむけの言葉はあるまい。

 ところで、湯殿山と言えば、昔から有名なものがある。それは、『即身仏』である。

 前回は時間の関係で見逃したのだが、今回はそれを一目見ておこうと、私は途中、湯殿山総本寺瀧水寺大日坊へと立ち寄った。そして拝見した真如海上人の即身仏。まあディープとしか言いようがない。

 そうこうしているうちに、ポツリポツリと、雨が降り出した。

 そう言えば今日は夕方頃、台風が山形を直撃するらしい。まあ直撃ってったって、大したことはあるまい。そう思いながら私は、その寺に住んでいる猫と、次のバスの時間まで、しばらく戯れていた。

 外へ出ると、完全な土砂降り。おまけに私は、傘を持っていなかった。

 リスク管理に根本的な欠陥がある私は、次のバス停に行くまでに、見るも無残な姿になった。

 しかし、そこから湯殿山へと向かうバスの中で見た月山の紅葉は、何とも例えようがないほど、見事であった。あのような紅葉は、後にも先にも、見たことがない。今でも目を閉じると、まぶたの裏に広がってくる。

 今回の参篭所の宿泊客は、私を入れて、たったの5人であった。しかも男性は、私一人。さもありなん、台風が直撃するというのに、わざわざ自分自身が即身仏にでもなりかねないような危険を犯してこんなところに参拝に来るような者は、よっぽどの酔狂者であろう。

 だがそういう切迫したシチュエーションになると異常なほどに盛り上がってしまうのが私の私たる所以で、さらに風雨が激しくなる中、男性風呂を独占して「私のものだ!」とばかりに内から厳重に鍵を掛けて、温泉を一人満喫するのであった。

 そうやって遊んでいる間に、どうやらマジで台風が直撃したらしい。外は猛烈な突風と豪雨。社務所のおじさんは、「龍が降りた。皆さんは幸運ですぞ」などと言っている。ものは考えようだな、とは思ったが、その龍にこれだけ大暴れされては、うるさくて眠れたものじゃない、と私は考えた。

 いずれにせよ、明日は山形とはお別れだ。そういう意味では、今夜は山形での最後の夜なので、私はビールを一杯、引っ掛けることにした。

 ところが私は、そんなに酒に強い方ではないので、酔っ払った私は、そのまま寝床に入ってしまった。もちろん、昨年のことがあったので、部屋の電気はつけたままだったが・・・。

 目が覚めると、午前四時。外は雨の音しか聞こえない。

 「嫌な時間に目が覚めたなあ・・・」とは思ったが、覚めたもんはどないしょうもない。

 すると部屋の中を、コウモリのようなものがパタパタパタパタと飛び交う音がしたかと思うと、枕元にピタッ、と止まった。

 来やがったな、と思った瞬間に、またもやズシリ。

 言うまでもなく最初は金縛りなのだが、昨年十分に予行演習しているで、解除するのにそんなに苦はなかった。

 そこで、押されてばかりでは芸がないので、こちらもぐーっと押し返した。すると、向こうもぐーっと押し返す、こちらもまた・・・。こんなことが、明け方まで続いた。

 要するに、遊ばれていたのであろうか・・・。

 外へ出ると、風はまだ少々あったが、台風一過、とても良い天気であった。

 ご神体での参拝を済ませ、参道から少し山へ入る道を行こうとした私の足が、何かを察知して、突然止まった。そこに何か、異様なものが横たわっている。

 よく見ると、白い大蛇である。

 私が、死んでるんじゃないか、と思って顔を近づけると、ペロリと赤い舌を出す。どうやら生きているようだ。

 さらに顔を近づけると、そのそばに、もう一匹いるのがわかった。もしかしたら、夫婦で日向ぼっこでもしているのであろうか。

 特に向こうも逃げるようでもなく、私も逃げる必要もなかったので、そのまましばらくそこへしゃがみこんで、二匹の白い大蛇と、声なき対話を続けた。

 いやはや湯殿山とは、いろいろなものに出会う場所である。

 本当はその時期、そこから先は立ち入り禁止なのだが、私は人目につかないようにして、さらに奥へと進んだ。

 誰もいない山道をずんずん登っていくと、突然視界が開けた。

 そこは広大な草原になっていて、台風の影響からか、頭のすぐ上をたくさんの雲が、ものすごい速さで行き交っている。辺りは、風の音しか聞こえない。生き物の姿さえない。私はその風景に、思わず息を呑んだ。

 もしかしたらここは、私の魂が帰っていく所なのかも知れない、そのように思わせられるほど、幻想的な、見事な風景であった。



 ・・・後日談。

 私は師匠の気功会の飲み会で、たまたま隣にいたおばさんに、この話をしてみた。すると彼女は、「えーっ!あんたあの山で、白い蛇見たの?」とたいそう驚いた。その反応に、こっちの方が驚いた。

 何でも湯殿山では、白い大蛇は、ご神体の化身と考えられていて、それを見た人は、本堂に上げてもらって、特別のお神酒をいただけるそうなのである。

 「一匹だけならいざ知らず、二匹も見るなんて、いかにもあんたらしいわね」と、彼女は言っていた。

 うーん。基礎知識くらいは、持っておくべきだった・・・。





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at 15:50, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, 世にも奇妙な症例集

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世にも奇妙な症例集エピソード3〜水子か?それとも兵士か?

 
 これは厳密には症例ではないのですが、私が体験した奇妙な例から・・・。



<2001年11月1日>

 秋になると、湯殿山に行きたくなる。

 かねてから山岳修験道に興味を持っていた私が、是非一度訪れてみたい、と思っていたのが、蜂子皇子開祖の羽黒修験道の中心地である出羽三山であった。

 その中でも、奥の院的な圧倒的な存在感を放つ、湯殿山。

 バスが一日四本、みたいな世界なので、行くのには非常に苦労をした。

 『語るなかれ、聞くなかれ』といわれるご神体は、まさに見る者の度肝を抜く。あれはすごい。両側が山、その間を流れる川という、風水的に最高の地形であり、そのまさに龍穴の位置に、ご神体はある。しかも、これまた奇っ怪なお姿。

 あのご神体を目の当たりにすることができれば、旅の苦労も癒されるというものである。

 しかし以下のお話は、ご神体自身とは、全く関係がない・・・。

 あまりの付近の風景の美しさに見とれた私は、ここに一晩、逗留してみることにした。

 霊場の中に「参篭所」があり、そこで宿をとることにした。「参篭所」といっても山小屋ではなく、鉄筋コンクリート製の、ちょっとしたホテルである。

 ところが、フロントに尋ねると、その日はちょうど団体の参拝客が来られたので、本館は空き部屋がない、との返事だった。宿帳をパラパラとめくっていたおばちゃんが、ふと手を止めて、こう告げた。「離れの3号室なら空いてますけど。」

 ・・・私はこの時点で、イヤな予感がした。でもすでに、最終バスは行ってしまっている。

 無理やり下山しようとして冬眠前のクマのオードブルになるのはもっとイヤだったので、結局そこに泊まることにした。

 普段誰も使わない部屋だったらしく、おばちゃん達が、申し訳程度の夜具とお茶を持って来てくれた。

 ところで、湯殿山参篭所のお風呂は、最高である。ご神体付近から湧き出るお湯を引き込んだもので、何だか有り難いような、もったいないような気がした。

 本館では、団体の参拝客がカラオケを持ち出して、ドンチャン騒ぎをしていた。昨今の霊場とは、得てしてこんなものである。

 外へ出てみると、巨大な鳥居に、まん丸い大きな月が懸かっていて、辺りは完全な静寂。そこにいるだけでも、意識が変容していくような感触を覚えた。

 ・・・忘れもしない、午後十時。

 布団に入ってウトウトしていた私の左の耳に、突然、笛のようなカン高い音が響いた。

 まさにそれが合図であったかのように、私の体の上にズシリと何者かがのしかかった。無論、いわゆる金縛り状態である。

 このままだと押しつぶされそうな勢いなので、私はマントラを唱えつつ無我夢中でもがき続け、何とか振り払うことが出来た。

 辺りを見回すと、誰もいない。いるわけがない。

 完全にパニクっていた私は、暗闇に向かって、「すみません、私はまだ、日の浅いペーペーの修行者なんです。もし何かおっしゃりたいことがございましたら、私なんぞではなく、どうぞそれなりの方にご相談いただけませんでしょうか?」とわけのわからないことを、半ば本気で訴えた。

 だが連中には、そのようなコソクな言い訳など、通用しなかったようである。

 今度は、私の腕を引っ張りまわしたり、口の中に手を突っ込んだり、枕元をバタバタ走り回るなど、大暴れを始めたのである。

 完全に頭にきた私は、布団を払いのけると、こう怒鳴りつけた。「お前らええ加減にせえ!これ以上俺をからかうんやったら、社務所のおっさん呼んできて、ここでお払いしてもらうぞ!」

 辺りは急に静かになった。

 「お前ら、お子ちゃまとちゃうか?」というと、どこかでカサカサと音がする。

 印を結んで部屋にかざすと、隅の方に冷たい空気の塊がいるのを感じた。印象としては何だかズングリムックリな感じで、私はドラえもんのようなやつが、何人かそこにいるような気がした。

 子供だ、と思った瞬間、何だか拍子抜けした私は、「あのなあ、君らと遊んでやりたいけどなあ、僕も眠いんや。ここにおってもかまわんけど、あんまりヤンチャせんとってくれ」と告げた。

 連中は一晩中そこにいたようだが、もう手出しはしなかった。

 次の日、外へ出て気がついたのだが、私の泊まった離れのすぐそばには、水子地蔵があった。

 そこでカラカラと回る風車の音が、何だか私に話しかけているように思えた。

 「また来るわな」と呟いて、私は下山するバスに乗った。

 間もなく山は、豪雪のため、入山禁止となる。

 深い雪に閉ざされたこの参篭所で、彼らは一体、どんな夢を見るのだろうか・・・。



 ・・・後日談。

 数年後、大阪に帰った私は、この一件を、大学時代によくツルんでいた霊感系のガールフレンドに、笑いながら話して聞かせた。「いや〜、大変な目に会うたで。」

 その時彼女は、昔と少しも変わらない印象的な眼でじっと私を見つめ、こう尋ねた。「・・・あんた、それほんまに子供や思てんの?」「・・・え?」

 「ちゃうちゃう、それ兵隊さんやで。別にあんたに危害を加えようと思ってやらはったわけとちゃうけどな。」

 その時、水子地蔵のそのまた隣に、旧日本海軍戦没者の慰霊碑があったのを、ふと思い出した。

 『八紘一宇』という文字とともに、そこに彫り付けてあった兵士の顔を見て、私はぞっとした。見てはならないものを見てしまったような、そんな気がしたのだ。

 ・・・うーん、私の天目も、まだこやつの霊眼には勝てぬか。





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世にも奇妙な症例集エピソード2〜痙攣する男

 
<2000年5月15日、M.K氏(会社員、30歳)>



 彼はまた、いつものように、午後8時過ぎに、うちへやってきた。



 私はうんざりした。これから約二時間は、彼の愚痴を聞かなくてはならないのだ。会社がどうの、お客がこうの、はたまた家がどうの・・・。こんな調子が、ここ数ヶ月間ずっと続いていた。



 私としては、昼の休憩時間に大山山麓へ行って、一時間昼寝をしてしまう彼のメンタリティにも大いに問題があると思われて仕方がないのだが、灯台下暗しというやつで、そんなことは彼は、全く意に介さないようであった。



 今日という今日こそは、カタをつけてやらねばなるまい、私はそう考えながら、彼を自室に入れた。



 彼は部屋の真ん中に坐ると、早速嘆き節を奏で始めた。導入から主題へ、レントからプレストへ。全盛期のカラヤンのように、彼は徐々にヒートアップしていった。



 約30分後、黙って聞いていた私の、ついに堪忍袋の尾が切れた。「立てい!」飛び上がるようにして、彼は立ち上がった。私は彼に、師匠から教わったばかりの、站椿功の姿勢を取らせた。このように私の、いきなり練功に入るというパターンは、ジャッキー・チェンの『少林寺木人拳』の影響である。



 足を平行にして、膝を緩め、腹部の前でボールを抱えるような姿勢を取らせる。私は、30センチのモノサシを持って、ペチペチと彼の体を叩きながら、余分な力を抜くように仕向けた。ここら辺は今度は、『酔拳』の影響である。



 その姿勢を取らせて、約3分後。突然彼は、かっぱかっぱと、大あくびをし始めた。それと同時に、ボロボロと涙をこぼし始めた。しばらくすると今度は、全身を激しく、痙攣させ始めた。



 その様子を見て私は、少々ムッとした。私は、こいつ、私をからかっているな、と思ったのだ。私が最近、気功法のトレーニングを始めたのを知っている彼は、私のやっていることをパロディ化して、再現しているつもりなんだな、相変わらずイヤミなやつだ、と私は考えた。



 数分間私たちは、その状態で、にらみ合いを続けた。



 沈黙を破ったのは、彼の方だった。「これ、いつまで続くの?」。私は驚いた。彼は彼で、私が何か催眠術のようなものをかけたのだと思い込んでいたのだ。彼が言うには、全身が痺れ上がっていて、コントロールできない、あくびも涙も、全身の痙攣も、自分のあずかり知らぬところで、勝手に起こっているのだ、と彼は言った(これを気功では、『自発動功』という)。



 腕組みをしてにらみ続ける男と、その目の前で大口を開けて涙を流しながら、月に憑かれたあやつり人形のようにカタカタと痙攣する男。これ以上に奇っ怪かつ異常な光景はあるまい。第三者が見たら、泡を吹いて卒倒していたかも知れない。まさに『エクソシスト』である。



 その状態がさらに15分程度続くと、徐々に痙攣は収まってきた。そして完全に止まった。



 見ると、表情もすっきりして、顔色も全然違う。



 それ以上愚痴をこぼす気が失せたのか、彼は、「・・・帰るわ」と言い残して、そのまま帰ってしまった。



 後で聞くと、数日間異常に体が軽く、爽快だった、と言っていた。



 後日、師匠にこの話をすると、師匠はこう答えた、「あんた練功中に、不用意に生徒さんに近づかない方がいいよ。何起こるかわかんないから」。それって、いい意味ですか?悪い意味ですか?



 あれから数年。そんな彼は、今でも職場でたまに、カタカタやるらしい。もちろん、人目につかないように・・・。





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世にも奇妙な症例集エピソード1〜大山のお土産

 
 さて、私のようなお仕事をしていると、数々の妙な現象に、やたらと出くわすものです。

 その際たるものが、いわゆる『霊障』と呼ばれるものですね。

 十数年前の某宗教団体によります某事件以降、そのようなものの存在を語る風潮は、一気に消滅するかと思われましたが、事実としてはどうやら全く逆で、テレビでは、心霊体験だとか風水だとか占いだとかは、相変わらず絶大なる人気のようです(最近ではスピリチュアル、でしょうか)。

 やはりこのように、異世界にあこがれる、というような嗜好は、大方の日本人に共通するものなのかも知れませんね。

 だからといって、気功などというただでさえ怪しいものを扱う私のような人物が、このような現象にモロに触れたりしますと、笑われるどころか叩かれたりもしますので (ホントです)、その手の話題を避けるようにしていたのですが、皆様の中にはもうすでに、私の人となりを十二分に体験していらっしゃる方も多いと思われますので(しかも飲み会などで(笑))、あえて今回、それ系のお話に触れてみたいと思います。

 実を申し上げれば、中国の気功や仙道、仙術などの体系には、先ほど申し上げました『霊障』だとかいった現象に対する対処法も、ちゃんと存在するのです。それをここで公開すれば、もしかしたら、家に帰るといつもひどい目に会う、といった悩みをお抱えになっておられる方にも、参考にしていただけるかも知れません。

 そうなれば、とても嬉しく思います。



 さて、いわゆる『霊』というものは、日本では様々な形で呼ばれています。地縛霊、憑依霊、生霊などなど・・・。私の見たところこれは、日本人の霊に対する見方を、如実に現しているように思えますね。

 ところが、気功を生んだ中国では、全く状況が違います。中国には『怪力乱神を語らず』という言葉があって、超越的な力だとか存在とかを認めない、という風潮が、古来よりあります。ここら辺は、気などというさらに不可思議なものを振り回す中国にしては、非常に奇妙なのですが。

 つまり彼らは、気というものを、すでにテクノロジーの一部として、捕らえているというわけですね。

 これは単なる思弁ではありません。だからこそ彼らは、このテクノロジーを使って、日本で言う『霊』のようなものまで、コントロールしようとするわけです(ここら辺のドライな唯物論的な発想が、社会主義唯物論を受け入れる土壌となったのだ、という歴史学者の指摘もありますね)。

 そのバックボーンになっているのが、いわゆる『陰陽五行説』あるいは『易』です。

 具体的にご説明しましょう。

 彼らは全て、「陰」に属する存在です。これはイメージしやすいと思います。その「陰」の存在が、ごくたまに我々の目の前に忽然と現れて、悪さをする。この時人は、たいてい怖がります。

 しかしこれは、先の『陰陽五行説』で言うと、実はあまり良くない対処方法と言えます。なぜか?

 実は、「怖がる」という反応自体が、すでに「陰」の性質を持っている、というわけです。ですからこの場合、「陰」と「陰」とが衝突して、さらに「陰」が強化され(物理学で言う波の性質と、何だか似ていますね)、よけいに事態が悪化する、と彼らは考えるのです(このような説明を聞いて、ご自分の経験から、青ざめながら頷かれる方もいらっしゃるのではないかと・・・)。ではどうすれば良いのか?

 相手に、「陽」のものをぶつければ良いのです。それは具体的に言えば、師匠によれば、「笑う」、「怒鳴る」、「歌を歌う」だそうです。

 そうなると、「陰」と「陽」とで、プラマイゼロ。めでたく連中は退散する、というのが、『陰陽五行説』が語る『霊』への対処法です(ここら辺も、物理学の波みたいですね。位相の異なる波をぶつけると、お互いに干渉して消える、みたいな)。

 このように、『陰陽五行説』というのは、単なる風水インテリアのオマケなどではなく、極めて実践的な理論なのです。

 それを、これからご紹介する症例で、実際に見てみましょう。



<2001年11月11日、K.Nさん(OL、35歳)>

 元来いわゆる霊感の強い人で、「心霊現象」と呼ばれるものに、度々悩まされたことがある。一番ひどかったのは、いとこの葬儀に参加した後、どうやら彼が「着いてきてしまった」時だそうで、この時は、「お引取り」願うのに、相当時間がかかったとか。

 この日彼女は、早朝5時に、なぜか突然、鳥取県中部に位置する「大山」という山に行きたくなり、一人車を走らせた。因みにこの山は、古来より山岳修験道の聖地とされる霊山であり、私の祖母は、「薄暗い時にはあの山には行ったらあかん」と、よく私に言っていた(当然私はその言いつけを、守ったことがない)。

 彼女は、運転免許を持ってはいるものの、普段はほとんど運転しないほどの怖がりでもあり、その点からも不自然な行動であった。

 鏡ヶ成という場所までたどり着き、そこでちょっと休憩。さあ帰ろう、と思って山を中腹まで降りた時、何かがズシリと背中に乗るのを感じた。

 この時初めて、しまった、と思ったという。

 そのまま会社に出かけたのだか、案の定昼頃から、だんだんと体調に異変が生じてきた。異常なほどの悪寒と冷え、頭痛、吐き気が彼女を襲った。

 さすがに会社の人にもそれは見て取れたようである。しかし彼らは、単なる疲れか風邪だろうと考え、風邪薬や頭痛薬を飲ませたようだが、一向に改善する気配は見えず、ますます衰弱していくようであった。

 偶然にもその夜私は、その会社の人と飲みに行く予定だったのだが、会った時私は、彼女の様子が明らかにおかしいのが判った。

 一人で列車に乗って自宅まで帰って休みます、と彼女は言うが、その途中で卒倒でもされたら大変である。だが薬はほとんど効いていない様子である。

 その時の私は、一指禅功ならびに点穴法を学び始めた直後であった。こんなものが本当に効くのかどうかは判らないが(結構私は、疑り深いのである)、取り敢えずダメモトで試してみるか、と思って、行った先の料亭で、施術を試みた(飲み会でいきなり施術をするハメになるというパターンは、この当時からあったのである)。

 点穴法によって上半身の経絡を調整して気脈を確保した後、ミーハーな私は師匠の一指禅功の真似をして(笑)、背中にある命門という経穴に、外気発射を行った。

 すると彼女曰く、何かが「スポンといって」背中から抜け出るのを感じた、という。

 おびえた表情で彼女は、「そこそこ、そこにいるでしょ」と言って、部屋の隅を指差した。当然他の人には、何も見えない。しかし私がそこに手を向けると、確かに何か冷たい空気の塊がそこにあるのを感じた(因みに私は、今でもその手の存在は見えないのだが、伝わってくる熱で、何となくわかる)。

 次の日には、完全に回復していた。



 後日談。私は東京に帰った後、師匠にこの話をしてみた。

 私の話を興味深そうに聞いていた師匠は、やがてこう述べた。「あんたの陽の気をまともにぶつけられたら、そりゃあ向こうだってたまらんでしょう」。なるほど、そんなもんなんですか。陰の気と言われなくて良かった♪


 というわけで、あまりおおっぴらに出来ない奇妙な施術例を、これから随時、ご紹介していきたいと思います。





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