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Kさんとの対話(31)〜プラシーボ効果とプラグマティズム

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

そうですか、脳波に特徴出てましたか?それは面白いですね。何にしろ科学的に分析していくに当たっては様々なケースの比較検討という作業が不可欠になると思いますので、おっしゃるようにどなたかの脳波も計測して比較してみる、というのも重要ですね。となると現状では、最も興味深い被験者としては、やはりIさんかなと(笑)。

 

僕の場合データの計測というのは、はっきり申し上げて、自分自身に納得させるためですね。データがないと、これは単に「気のせい=思い込み」ではないのか?とか考えてしまう。プラシーボ効果じゃないかとか。僕は徹頭徹尾の懐疑論者・超現実主義者なのです(笑)。

 

ただここで、プラグマティック的な視点を持ち込むと、話は変わってくると思います。プラシーボであろうが何であろうが、それで心身にプラスの反応が出ているのであれば、特に問題はないのではないか、というのが、僕の考えですね。例えば僕は25年近く病院も行ったこともなければ薬も飲んだことがないのですけれども、精密検査を受けたら癌やポリープ、動脈硬化くらいはあるんじゃないか、と思います。でも元気に毎日快適に過ごしていますからね。「気のせい」のお陰で(笑)。全くその逆で、病院でMRIやレントゲン、血液検査等の精密検査を定期的に受けていて、それこそ科学的・医学的に全く異常なしと言われているにもかかわらず、存在しない病気を想定して鬱々とした日々を暮らしている方もいらっしゃいます。

 

あるいは、腰が痛いので病院へ行ったら手術を勧められて手術をしたけれども、全く痛みが取れないどころか歩行が困難になり、大好きだった旅行が出来なくなってしまった、と嘆くクライアントさんもいらっしゃいますが、そうなると手術をしたことは良かったのか悪かったのか、という話ですね。本当にお気の毒だと思います。もちろん最後は誰だって死は避けらないわけですけれども、そこに至るまでに楽しく生きるのと、鬱々として生きるのと、どちらが良いのでしょうか?

 

ましてや、「気のせい」で腫瘍が消えたみたいなケースがあるとすれば、それをどう解釈すれば良いのでしょうね?そんなわけで、取り敢えず僕は目下、「気のせい」の方を選んでいますけれどもね。便利ですから(笑)。

 

生体電気の計測も興味ありますね。その場合僕がやってみたいのは、点穴をした時と普通に手かざしをした時との結果の差の計測ですね。それは機材を使わなくても問診でもいけるかな?じゃあ週末ちょっとやってみましょうかね(笑)。

 

というわけで、暑いのでご自愛下さい!

 

中原勇一 

at 16:48, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(30)〜施術から見るヒーリングビジネスの難しさ

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

僕もどちらかと言えば、Kさんのスタンスに近いですね。僕の場合は、クライアントさんの経絡の反応がシグナルです。後は経絡理論による、テクニカルな処置ですね。

 

例えば、先週末お袋が倒れました。夜寝る前僕は携帯の電源をいつも切るのですが、その間自宅では大変だったらしく、親父に怒られましたけれども(笑)。七転八倒するお袋を前に色々と問診した結果、恐らくこれは急性食中毒だと理解したので、小腸経・大腸経を使った消化器系のクリーニングと、脾経を使ったその機能回復、体力を消耗する可能性があるので腎経での体力増強の施術と、具体的な症状を見ながら処置を施したところ、二時間後には収まりました。この場合も経絡の反応というシグナルを見ながら馬氏点穴療法を使って鍼灸理論を適用するというテクニカルなプロセスですので、いわゆる宇宙の気を使ってのオーラクレンジングとかいう発想とは、全然違います(恐らく経絡というのは、神経反射と密接な関係があるのではないか、と思いますね)。そういう意味では僕がやっていることは、言い方は賛否両論あるのでしょうけれども、完全に身体工学的な手法だと思いますが、僕の場合はこの方がすっきりしますね。

 

もっともこの辺が逆に僕の限界かも知れませんけれどもね。あまりにも論理的にやり過ぎ、みたいな。僕は基本的に懐疑論者かつ超現実主義者なので(笑)。そういう意味ではもし計測されるとすれば、 僕ともう一人完全に霊感系ヒーリングの施術を行っている方をお連れして、施術中の我々の脳波を比較するとかの方が、色々と面白いことが判るかも知れませんけれどもね。

 

ただあまりこう言っては不遜なのですが、そういう霊感系の施術をされる方もうちに良く来られるのですが、そういう方の中にも心身に不調を抱えていらっしゃっる方多いですね。ただでさえ感覚が鋭敏すぎるほど鋭敏なのに、心身に問題を抱えていらっしゃるクライアントさんの施術を行って、その後自分も体調が悪くなったけれども、どうすることも出来ない、と訴えられる方が、よく相談にお見えになります。何とかしてあげたいと思って色々とアドバイスしているのですが、それを十分に実践する前にまた取り憑かれる方とかもいらっしゃいますので、いたたまれないというか何というか(苦笑)。

 

この辺りがある種の気功の体系のように、そういう問題の解除の仕方を含めてデータが揃っている分野と、そうでない分野との違いになってくるのかも知れません。こういう場合は下の丹田に十分充電した状態でなければ施術は行わない方が良いのですけれども(「充電」という言い方が神秘主義的と言うのであれば、放鬆(ファンソン)=リラクゼーションですね)、そういうのは聞いたことがない、とおっしゃる方が多いですからね。あるいは上丹田が開きっ放しになっていて閉じ方がわからず、必要不必要に関わらず膨大な量の情報が入ってきてパンクしかけているとか。むしろこちらの方が多いですね。

 

もっとも生まれつきそういう能力をお持ちの方だと、残念ながらそういうのを教わる機会も少ないのかも知れませんけれどもね。この辺りは生まれつきハイスペックのMACを持っていらっしゃるようなものかも知れないですね。すごい処理能力なんでしょうけれども、一旦トラブったら直し方がわからないみたいな。逆に僕の場合はロースペックなんでしょうけれども、トラブったらどうすれば良いかわかっていますからね。その気になればメモリ増設するとかCPUバージョンアップするとか色々カスタマイズ出来ますし。ですから、むしろその方が良かったのかな、と思いますね。自身の心身の健康上(笑)。

 

では、週末はお待ちしています!

 

中原勇一

 

 

 

<追記>

 

この度台風19号により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

at 21:37, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(28)〜「死」を巡る共同体と個人の対位法

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

ワールドカップは残念でしたね。Kさんも相当入れ込んでいらっしゃるようですから、残念度も相当ではないか、とお察し致しますが(笑)。

 

Nさんのお話は面白かったですね。Kさん達が練習不足とは思いませんけれども(笑)、まあ差異があるとしたら、Kさん達は、緊張を抜くのが難しいのかな、という気がしますね。後はNさんは、その数日前に僕の施術を受けられていますからね。その時全身の経絡を通したので、その関係もあると思います。もう一つは僕の至近距離に座っていらっしゃったこともあると思いますね。被曝しまくりというか(笑)。

 

ポイントはマッスな肉体ではなく、場だと思います。前回から幽体離脱とかでこの話もしていますけれども、よく肉体は魂を入れる仮の箱、みたいな言い方がありますね。それはこのことを指しているんじゃないか、とも思います。場の方に意識があって、その場の情報に適合する粒子が集まって肉体を構成している、みたいな。こう考えると古今東西の出神やら幽霊やらの現象が全て説明がつくのではないかと。ただその両者を分離させるのがとてつもなく難しいので(唯一誰でも体感出来るのは、死ぬ瞬間ですね)、 両者は同一だと考えてしまいがちですけれども。ですからここはKさんにどんどん幽体離脱の実験をして頂きたいところですね(笑)。

 

そうですね、カスタネダの世界観はその通りだと思いますよ。あれは完全に仏教思想にも符合しますし、それこそ80年代の構造主義からポスト構造主義的な考え方にも極めて似通っていますからね。ヒッピー思想とは少し違う。ヒッピー思想の後にこのシリーズが出たというのは、僕は偶然ではないと思います。

 

ただこういう思想は、今では単にファンタジーと思われるでしょうけれどもね。現代の日本では、余計ではないでしょうか。というのはこういう思想は、国家に代表されるような共同体という観念に、疑問符を突きつけますからね。更に言えばこれは、太古からの「共同体vs個人」という対立軸の、単なるバリエーションです。ベトナム戦争前後世界的規模で国家に反抗する流れが出来て、その延長上でそれを理論化しようとする動きが出てきた。しかし、それが複雑化すると一般受けしなくなり、より判り易い主義の方が、受け入れられやすくなる。今は正にその状態ですね(因みに僕も、昔はポスト構造主義と呼ばれた思想にも触れたことがありますけれども、今は全くですね。当時思ったのは、ポスト構造主義といいつつも、それを都合の良いように解釈して、単なるヒューマニズムに回帰しているかのような言説が多く見られたからです。最悪なのはそれが嵩じて、ヒューマニズムどころか、自分のエゴイズムを正当化する言説として使われていたりとか。それであればラカンのように、「無意識は言語のように構造化されていて、何人もそこから脱却することは不可能だ」みたいな身も蓋もない(笑)言説の方が、まだ親近感がありますね)。

 

実際、仏教の歴史もそうですね。大乗仏教が出てきて理論が余りにも複雑化した結果、人気がヒンドゥー教やイスラム教にシフトして、結局インドでは仏教は駆逐されてしまった。それと全く同じです。更に言えば、その仏教思想が出てきた時代背景というのは、都市国家同士の抗争が激しくなって、恒常的に戦争が起こっていた。その中でそういう共同体的な思想に疑問符を突きつける思想が出てきたのですね。それが当時世界中のどこでも見られたわけです。昨日まで王を名乗っていた人物が今日処刑され、新たな政治システムを持った国が興った。それも数年後には滅び去ってしまう。これが中国の老荘思想やギリシャのソフィスト達が出てきた時代と符合するのは、偶然ではありません。人間の思考の流れというのは、この両極端を行ったり来たりしているのですね。

 

更に言えば、意識を持った人間という生物の特性を考えても、やはり僕は共同体的なものを相対視してしまいますね。何故なら、その生物が避けて通れない「死」という問題があるからです。それがドン・ファンの言う「死はアドバイザーである」という言葉にも関わってくると思います。病気にせよ何にせよ、自分の死というものを目の前にした時、誰も僕たちに対して何もしてくれませんし、実際何も出来ません。そこには共同体も他者も関係ありません。何故なら僕達の死は、「僕」達の死であるからです。それは必ずやってきます。その時、僕達はどう考えるのか。臨死体験をしたら人間が変わった、という話をよく聞きますけれども、そういう理由もあるのではないか、と思います。因みに僕の場合は、仏教思想もありますけれども、多分阪神大震災を経験したことも、大きなきっかけでしょうね。ものすごい衝撃と共に壁に叩きつけられて、外へ出ると昨日まで頭の上にあった阪神高速が横倒しになって、周囲の建物がぺしゃんこになっている。正に諸行無常以外の何者でもない。トラウマとは申しませんけれども、それ以降目に見える外界の存在が空虚に見えるようになったというのは、それはあると思いますね。

 

因みに、このように共同体を相対視する姿勢にも、我々の文脈の場合二つあると思います。例えばドン・ファンが、『チベットの死者の書』を読んで疑問を持った下りがありますけれども、それはそうだと思います。両者は考えるアングルが違う。ドン・ファンの場合、かなりドライです。死んだら完全に終わり。ですからそこから思考しろというドン・ ファンの言葉は、かなり重みがありますよね。より実践的というか、実存的というか。逆にチベットの場合、死といいつつ、転生あるいは意識の連続体というものを考えますから、まだやり直しの可能性が残っている。こちらの方がスタンス的には優しいですよね(笑)。更には出神のような現象も、「幽霊みたいな」と言って低評価している箇所もありましたね。同じ(と思われる)現象でも、東洋思想のようにそれに積極的な意味を与えようとする姿勢とは、正反対ですね。

 

もしご興味があったら、『チベットのモーツァルト』の中の「孤独な鳥の条件」 という章をお読み頂けたら、と思います。実際僕は中沢先生の作品はあの作品がピークで、後はそのバリエーションのような気がします。こんなことを申し上げるのは失礼でしょうけれども(笑)。

 

Kさんによると、彼も今月末で引っ越すそうです。ただあかり舎さんはまだしばらくは使えそうですので、7月は現状通りということで、大丈夫そうです。ちょっとオーナーさんと話す必要がありそうですけれども。もし継続が困難になったら未来中心に移転しても良いですし、あるいはうちのスタジオでも良いかな、とも思っています。シンセを片付ければ十分スペース取れますので(笑)。何にしろまた改めてご連絡致します。それでは!

 

中原勇一

at 17:19, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(27)〜イメージを現実化する最も簡単な方法

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

ええ、とても充実した旅行でしたね。スカイマークも意外と便利でしたよ。機内が狭い、とか、米子発の場合羽田空港の端に着陸して不便らしい、とか言われましたけれども、そんなことは全然思わなかったですね。あれで9,800円は確かに激安です。もうすぐにでも再上京したい心境ですね(笑)。

 

そうですね、サッカーはいわゆるフィードバックという点で、非常に面白い事例かも知れないですね。後はおっしゃるようにリーダーシップの問題とか。チーム全体に気を入れる、みたいな。ここら辺になると中国気功というよりも、某空手塾的な「気」論だったりしますけれども。

 

バリマジックに関するご指摘も、もっともだと思います。結局力は力でしかなくて、それを運用する側によって毒にも薬にもなる、ということかも知れないですね。でもそういう場合の想念って、一体何なのでしょうね?僕のやっている気功の施術は、ある程度神経反射や生体電流、電磁波(場)みたいな概念でも説明がつくのかも知れませんけれども、やはりそれでは収まりのつかない事例とかありますからね。 おっしゃるようにそういう想念が場に影響を与えることで、間接的に粒子だとかの運動に影響を与える可能性はないのだろうか、と考えたくなってしまいますね。その辺りは量子論とかでもいまだに決着がついていないと聞いたことがありますけれども、どうなんでしょうか。

 

明晰夢のアイテムも面白いですね。しかし、よくそんなの探して来られますね(笑)。夢はコントロール出来ない、あるいは困難と言われますけれども、それをいかに可能にするかという技法も、古今東西割と良く見られますね。ドン・ファンもそうですし、僕が中沢先生の講義に忍び込んで(笑)頂戴した資料の中にあったロンチェンパのメディテーションにも、重要な技法として紹介されていましたね。当時は本邦初訳だとおっしゃられていましたけれども、今はどうなんでしょうか(笑)。

 

先の想念のところでも若干触れましたけれども、要は、イメージをどうやって現実世界にリンケージするのかとか、そういう問題系だと思います。誰もが現実をコントロール出来ないと考えていて、それを疑うことすらしない。しかしある特定のやり方を使うことで、内的イメージを外的世界に投影、あるいは接続することが出来るようになる。手を触れずにスプーンを切断出来るかどうかは明言を避けますが(笑)、イメージを使って自分自身からそれまで使っていなかった(あるいは使えないと思っていた)力を引き出してそれを実生活に応用するというのは、極めて簡単に出来ることです。

 

ではそれが普通の人はなぜ出来ないのかといえば、最初から「そんなことは無理だ」と思って、そもそも試さないからですね。別に僕は超越的なことを言っているわけではありません。嫌いな上司がいるとして、あんな奴とコミュニケーションなんか取れるものか、「そんなことは無理だ」と思っているから、状況は改善されるどころか、ますます悪化していく。そうやって腫れ物に触るかのような日々を送るのも良いのでしょうけれども、そういう人生も嫌だと思うのであれば、一番簡単なのは、むしろ、その人とコミュニケーションを取ることですね。これは修行だと思ってやった方が良いと思います。そうしてみると案外その人が良い人だった、ということもあるかも知れない。現実を変えるとか言うとすぐにファンタジックなことをイメージされる方は多いかも知れませんが、そういうのも十分に、現実を変えることです(ですからチベット密教では、一番恐ろしい化け物のイメージを使って、トレーニングするわけです。恐ろしい化け物でなければ、効果は薄いです)。そうすることで良い意味で積極的な(あるいは、より楽な)生き方を選ぶというのは、そんなに難しいことではないと思います。

 

少しだけ勇気を出して、試してみること。ダメモトなのですから。それだけでも結果は大きく変わってきます。

 

それでは、週末またお会いしましょう!

 

中原勇一
 

at 17:00, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(26)〜引き寄せの法則と地域格差、ブラックマジックとホワイトマジックの違いについて

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 昨日東京より戻りました。

 

 上京した当日は物凄い大雨でした。気温もかなり低かったですね。米子を出た時は晴天でしたので、意外でした。その日と次の日は、かなり寒かったです。でもまあ季節柄仕方なかった面もありますけれども(笑)。

 

 でも久々の東京は面白かったですね。もっとも東京へ行くと言っても観光ではなく、懇意にしていたアーティストさん達と食事をしていただけ、と言えばそうなのですが(笑)。 でもそういうアートに関するディスカッションは鳥取では出来ないので、非常に貴重です。

 

 特に今回は、疲弊する地方がよく話題になりましたね。その意味では鳥取なんて、最先端ですから(笑)。またそういうお話が出来る方々って、それこそ展示会で日本全国回ってるみたいな方だったり、同じく地方から出て来られたのですが、ご両親が倒れられても仕事上帰るわけにもいかず、板挟みになっている方とかだったりして、実際そういう方々の方が地方の問題を文字通り我が事として捉えられている印象がありますね。逆に地方にずっと定住していて地方しか知らない人って、地域格差問題、高齢化問題といってもそれは目の前にある当たり前のことだったりしますから、そもそも重要な問題として捉えられていないのではないか、と思います。せいぜい、この辺りも何だか最近空き地が増えたなあ、とか、その程度の認識じゃないでしょうか。そういう人達が集まって地域活性化プロジェクトとかやっても、難しいのではないでしょうか。農業祭のようなイベントを年に一回やるだけで十分活性化出来た、と考えてしまうみたいな。もっと現実的な話だと、それで十分補助金をもらう理由になる、みたいな(笑)。

 

 僕はこの問題は単に人口論的な統計学上の問題ではなく、極めて心理学的な問題だと思っています。例えば、『引き寄せの法則』ってありますよね?僕はこの『引き寄せの法則』を社会レベルで完璧なまでに実現出来ているのが、地方ではないか、と思います。何故かといえば、そこの地域に住んでいる方々の本当の願望、文字通り潜在意識化にある願望が、正にそれだからです。何もしたくない、何も変えたくない、みたいな。それを皆さん、心の底から望んでいらっしゃるわけですね。そしてそれが見事に実現しているわけです。そういう方々の「夢」がその地域の総意になっているのだとすれば、そもそもそこで変革なんて生じるわけないですよね。現状維持がベスト。むしろ変革を起こそうという人は、単なるテロリストにしか見えない。そしてそういう危険人物をつぶすのは、極めて簡単ですね。村八分にすれば良いだけですから。そうやって表面的に平和を装っていますが、お互いがお互いを監視したりとか、あまり健康的とは思えないような独特のシステムが確立している。フェイスブックなんて完全にそのツールと化していますね(笑)。誰も自分の考えを言えない。何か人と違ったことを言おうとすれば、排除されますからね。それはその地域での死刑宣告に等しいわけですから、それだけは絶対に避けなければならない。しかも、それだけ努力しているにもかかわらず、地域の奉仕活動での草刈りを仕事の都合で休んだその日から陰湿ないじめが始まったとか、良く聞く話です。更に恐ろしいのは、似たようなことは国レベルでも進行しているような気がすることですね。僕は家庭環境上外国の方と話す機会が多いのですけれども、今の日本のイメージは、いわゆる「オワコン」だそうですね。"Post Power Syndrome"という言葉を良く皆さんお使いですけれども。日本って最先端の技術を扱う先進国だと思ってたけれども、どう考えても違うよね、本当に残念だよね、みたいな。

 

 もっとも、そうやって消えていった文明なんて歴史上ごまんとありますから、特に悲しむような性質のものではないのでしょうけれども、そのように「失われた文明」化しつつある現代社会をどう渡り歩いていくか。こういうのも十分に気功、あるいは仙道的なトピックだと思いますね。

 

 

 

 確かにおっしゃられるように、『虹の理論』の中では、インドネシア呪術(特にバリ・マジック)のクンダリニ・ヨガ的なテクニックが、ブラックっぽく語られていましたね。そこら辺中沢先生ご自身も、今はどうお考えなのでしょうね。読んだ当初、僕がインドネシア呪術に関して何も知らない時に想像したのは、下位のチャクラがコントロールするのは生命エネルギーで、そこにはセクシャルな要素も当然入ってくるわけですから、そういうのがやはり不浄だと考えられるのかな、その辺りがチベット密教のような大乗仏教や、それこそ房中術とかもある仙道と違うところなのかな、ということだったのですが、今僕が付いている先生の話によると、そうではないみたいですね。

 

 つまりブラックであるかホワイトであるかは、自分の利益のために使うか使わないかによって分けられるみたいです。ですからその力を使って人に危害を加えたりするのは当然としても、少しでも自分の利益のために使えばそれはブラックの入り口になると、先生はいつも警告しますね。最初は軽い気持ちでも、いずれ制御が出来なくなると。

 

 でもその話を聞いた時、そこら辺がインドネシア呪術の微妙な点かも、と思いましたね。この点は正に中沢先生も一番最後に、ちらっと皮肉っぽく指摘されていたことです。「善と悪がまるでガムランの反復音列のように終わりの無いサイクルを描いて」という言い方で。

 

 つまり、そのブラックとホワイトとの違い、つまり自分の利益のために使うか使わないかも、物の見方によって変わるのではないでしょうか?例えばチベット仏教だって、チベットに入って来た時に地元にあったボン教というそれこそ悪霊を使役したりするようなブラックそのものの技法を取り入れて体系化されていった、という歴史があります。その大乗仏教にしたって、小乗仏教のように、欲望を全面的に否定してかかるのは、諸行無常・諸法無我という仏陀の教えそのものと矛盾するのではないか、とそういう疑問からスタートしたムーブメントですからね。先ほど東洋思想とセクシャリティに関して述べましたけれども、そもそもその二元論自体が、太極図のように、見方、あるいは縁起によって変わります。そのようにインドネシアでも、ブラックを取り入れてホワイトに変えるみたいな技術があっても良いんじゃないですか?と先生に訊いたら、そういう技術は80歳になってから習得するべきものだ、との返事でした。何故80歳という数字なのかはわからないのですが。今度会った時に訊いてみます(笑)。

 

 その点でもやはり仏教というのは、極めて面白い物の見方をしますよね。もっともタオイズムも全く同じですが。色即是空、塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し。少子高齢化、人類滅亡。何か問題でも?みたいな。そんなこんなで、先生は僕にインドネシア呪術を教え、僕は先生にタオイズム(あるいは大乗仏教)を教え、みたいな奇妙な関係が現在続いています。どうも先生ご本人というよりも、先生の守護霊団(ほんとに一個師団みたいらしいですからね(笑))に気に入られているみたいで、有難いお話です(笑)。

 

 では不安定な天候ですが、ご自愛下さいませ!

 

中原勇一

at 17:15, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(25)〜呪術と科学、催眠について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

だいぶ暑くなってきましたけれども、いかがお過ごしでしょうか?

 

そうですか。停電の影響があったのですね。作業されていた方の感電死が原因というのはびっくりですね。 あまり想像したくないですけれども・・・。

 

そうですね、量子とか場の問題は非常に興味深いと思います。気とそういう現象との関連性を考えてみたいのですけれども、いかんせんそういうものを取り出す実験装置が手に入らない。電磁場でも難しいのに、量子なんてとても不可能ですね (笑)。だとすれば自分なりに仮説を立てて自分なりに実験する他ないのですが (例えば熱を特定の空間に発生させるとか)、そうなると今度は、思い込みとか催眠とかいった心理学的な要素を排除するのが難しくなりますね。

 

遠隔気功のお話が出ましたけれども、もちろん試みたことはありますよ。中国にいる友人が足に大怪我をして、遠隔気功が出来ないか、と言ってきたのが最初ですね。その時は、そういうのは嫌だから、と一回は断りましたけれども、考え直して、良い勉強だと思ってやってみました。その直後確かに足がものすごく熱くなったみたいで、一応成功しました。その後何回か上手くいきましたけれども、ここら辺はもっと研鑽が必要かな、と個人的には思っていて、施術のメニューにはまだ入れていないです(笑)。でも気の場というものが一種の量子場みたいなものなのだとすると、量子テレポーテーションとかもあるわけですから、遠隔というものもあり得るのかな、と思いますね。

 

でも、先ほど「思い込みとか催眠とかいった心理学的な要素を排除するのが難しい」と申し上げましたけれども、最近は、それを無理して排除する必要はないのではないか、と考えるようになってきましたね。プラシーボ効果という現象があって、あれも西洋医学を学ぶ段階では一応触れられるようです。ただし深くは触れられないようですが、その理由は同じく、心理的な要素を排除出来ないから、イコール科学的ではないから、ということだと思います。

 

しかし、それが科学的に有効かどうかという議論は医術を施す側の話であって、施される側の方にとってはあまり重要な問題ではないのではないか、と思います。要は、効けば良いのですからね。催眠を使って体温を上げたりするのは極めて簡単に出来ますけれども(疼痛コントロールまで出来るくらいですからね)、それが思い込みによって引き起こされることの科学的な是非を云々してみたところで、末端冷え性に年中悩まされていて、それが解消されるんだったら手段を選びません、とおっしゃっている方には、素直にそれをしてあげれば良いのではないか、と思います(ミルトン・エリクソンが、なぜこのような現象が起こるのか、という質問に対して、「だって、そうなるじゃないですか」とだけ答えたという逸話は、非常に象徴的だと思いますね)。その意味では催眠というのは、極めて興味深い現象だと今は思っています。

 

その真逆のケースも考えられると思います。例えば呪術。そんな話をするとすぐに宗教だ、カルトだと馬鹿にされますね。でも実際呪術をかける方にすれば、そう思ってもらう方がむしろ有難いわけです。それ以上深く詮索されることはありませんからね。何か大変なことが起こっても、術者が逮捕されるなどということは絶対にありません。少なくとも法的に立件することは、不可能ですから。それでとんでもないことをしている人達は、僕の知る限りでも国内外にたくさんいます。悲しいのは、本人はホワイトだと思っていても実はブラックだったみたいな。素人さんに多いケースですけれども。あ、僕はしませんよ。師匠に言われていますので。中国とインドネシアの両方から(笑)。

 

インドネシア呪術を知るきっかけとなったのは、やはり『虹の理論』と、もう一つ、『野ウサギの走り』ですね。嫁と知り合ったばかりの時に、カンダ・ウンパットについて何か知らないか、と尋ねたら、何でこの日本人は地元の人でも知らないような神の名前を知っているんだ、と相当いぶかったみたいですからね(笑)。後者には嫁の里であるバンドンも出てきます。それこそバンドンなんて妖怪だらけみたいで、言わばネタの宝庫っぽいですけれども、嫁はリサーチに行かせてくれません。仕方がないので姪っ子夫婦と一緒にYouTubeで心霊映像を見て夜通し大騒ぎしましたけれども。これも国際交流です(笑)。

 

坐禅会のお話は面白いですね。Rさんが頭が痛くなられたというのは興味深いです(笑)。何ででしょうね?まあ緊張感もあるのかも知れないですけれども。僕は近年お寺の坐禅会には参加したことがないので判りませんが。霊がうようよというのも面白いですね。 そういう場所に僕も行ってみたいですね。何を感じるのか試してみたいです(笑)。

 

というわけで、ご自愛下さい!

 

中原勇一 拝

at 18:04, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(24)〜気と波動、場について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 いつも遠いところ有難うございます。先週は面白かったですね。Iさんも色々強烈な体験されてらっしゃるそうですよ。あまり大っぴらにはされませんけれども。頭がおかしいと思われたら嫌だそうで。そんなことないと思うんですけれどもね。 やはりそれなりの体験される方は、そう思っちゃうんでしょうかね? それに比べると僕の体験とかは、逆に地味だと思うんですけれども(笑)。

 

 その量子のお話は面白いですね。Kさんは工学部ご出身ということですが、大学では量子の研究もされたのでしょうか?2スリット実験のこととか、世間一般ではあまりそんな話はしないので、もしかしたら、と思いまして。

 

 そこら辺僕もそうで、最初自分の体に変化が起き始めた時に、これは一体何だろう、という疑問から、物理学の勉強を個人的にやっていたことがあります。それこそ量子力学はおろか、場の量子論から超ひも理論とかの本まで読んでいましたね。でも実用的には電磁波理論や静電気学で十分かなと思って、それ以来深入りはしていないのですが。

 

 ただ、気と電磁波のような波(動)とは、似ているけれども違うかな、とも思ったりしています。波は動的なイメージがありますから。一番しっくり来るのは、場に関する理論かな、と思います。特にこの前のような霊体だとかの話になると、やはりそれは波とかではなく、場のあり方を規定する何かではないか、という気がします(感覚としては、場に意識が刷り込まれているような感じでしょうか。更にそれには、プラスとマイナスの二つある)。そこら辺も踏まえて僕も、施術そのもののやり方を変えたりとかしています。以前は波と考えて施術をやっていたのですが、最近はむしろクライアントさんの周囲の場をターゲットにしています。『帯功』というテクニックは、正に場を相手にしたものですしね。あと色んな方がご覧になられているように、いわゆる幽霊が僕に近づけないようになっているみたいな。その辺は師匠から教わった通りではあるのですけれども。ですから、霊体と幽霊とは、体感としても全く違いますね。僕の場合ですけれども。

 

 そういう意味では初学者の頃は、施術の技法や中医学、陰陽五行のような理論的な部分に目が行かざるを得なかったのですけれども、Kさんとのこの前の現実と夢との違いの議論や、今回の量子の議論、あるいはやはりそれだけではないような現象にもやたらと巡り会うようになりますと、非常に考えさせられるものがありますね。

 

 特に、インドネシア呪術ですね。まさかそちらに本格的に足を踏み入れるようになるとは、気功を始めた頃は、全く想定していませんでしたからね。嫁と結婚していなかったらそうは絶対になっていなかったわけですから。あるいは、2011年に鳥取へ帰らなかったらそうはなっていなかったはずですから、運命とは不思議なものだなと、つくづく思います。恐くないと言えば嘘になりますけれども、乗りかかった船ですからね。行くところまで行くのも、これまた運命ですかね(苦笑)。

 

 月末はどうかご無理なさらないで下さい。ホントいつも遠いところ申し訳ないです(汗)。それではご自愛下さい!

 

                                 中原勇一 拝

at 19:17, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(23)〜幽体離脱と、プラスの存在・マイナスの存在

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 幽体離脱のご経験がおありなのですね。それは非常に興味深いです。次回の教室では特別講師をして頂きたいくらいですね(笑)。教室にお出でになられる他の皆さんも、そういう現象とか体験したことおありなんでしょうかね?倉吉教室はスタートさせたばかりですので、その辺りはKさん以外、まだ詳しく伺ったことはありませんけれども。

 

 気功関連ですと、幽体離脱というのは、僕の中では最近興味がある分野ですね。インドネシアのパチャジャラン王国に関する伝説はお話しましたっけ?(「恐るべきインドネシア呪術の世界エピソード4〜消えた文明の謎」)。教室ではあまりにもたくさんしゃべり過ぎてよく覚えていないのですが(笑)。それが正に、幽体離脱に関連しますのでね。

 

 実際中国の気功に関する言葉にも、「我々が苦しむのは、肉体があるからである。肉体がなければ、どんな苦しみがあろうか」というものがありますね。これは実は哲学的な意味ではないのではないか、という気がします。もし空間に意識を刷り込ませることが出来るのだとしたら、肉体を消滅させてしまっても特に問題ない、みたいな。ではそれと幽霊とは、どういう違いがあるのか?そこら辺も面白い視点かな、と思ったりもしています。

 

 こんなことがありました。あるクライアントさんが肩凝りがひどいといって、うちにご相談にお見えになりました。一緒に練功も習いたいと。その時は冬の真っ最中だったものですから、練功中に寒い思いをさせてはいけないと思って、部屋の中で暖房をかなり強めにして、なおかつホットカーペットまで着けました。ブレーカー落ちるんじゃないかと思いましたけれども、大丈夫でした(笑)。そうしたら汗ばむくらいになったので、もう大丈夫だろうと思って、彼女を招き入れました。

 

 そして練功を始めたら、やたらと寒くなったんですよ。あれ?どこかの扉が開いたのかな?それとも木造ですから、どこか知らないところで隙間風が入り込み始めたのかな?と怪訝に思ったのですが、セッションをすでにスタートしてしまっているものですから、ともかくそのまま続けることにしました。

 

 ひとしきり練功が終わった後、今から思えば本当に失礼極まる話なのですけれども、僕が冗談半分で、「いや実は、お姉さんと一緒に練功を始めてからやたらと寒くなりましてね、お化けでも連れて来られたんじゃないかと思って、気が気ではなかったですよ」と笑いながら申し上げたら、彼女が言うには、その先月お父様が自殺なされたと。多分そのせいじゃないか、とおっしゃられるんですよ。それに練功の最中に僕が彼女に近づいて、彼女の気のエリアを確認するために、僕の手を彼女の肩周辺にかざしたら、何かがぱっと彼女から離れたと。お陰で肩が異常に楽になりました、と言われました。この時は僕はこのように、馬氏点穴療法の施術はしておらず、肩周辺の空気を払っただけです。よほどその何かにすれば、僕の手と相性が悪かったのか、良くわかりませんが(苦笑)。肩凝りなんてポピュラーな症状ですけれども、単に筋肉とか神経のアンバランスさだけが原因じゃないのかな、とか、その時から思うようになりましたね(似たような症例は、「世にも奇妙な症例集エピソード1〜大山のお土産」でご紹介している)。

 

 ですから、陰陽と幽霊に関してはおっしゃる通りだと思いますね。いわゆる幽霊の場合、それがマイナスだというだけで、エネルギー(あるいは場)という性質そのものは同じなのではないか、と想像します。その真逆で、熱の固まりにもお目にかかることがあります。大宮氷川神社とか大神山神社、いわゆるパワー・スポットで感じるものはそれですね。一番強烈だったのは高野山奥の院でしたが(笑)。そういうところで練功したりすると全身が物凄く熱くなって、その後やたらと体が軽くなるというのは、やはりあるのかなと。充電ではないですけれども(笑)。そこら辺僕も、そのようなエネルギー場の動きが見えたら、あるいは器具とかを使って可視化出来たら、よりよく判るんでしょうけれどもね。僕の場合は触覚ですので。なのでそういうのが見える人は、そういう意味では羨ましいです。Rさんに言わせれば、冗談じゃない、ということになりそうですが(笑)。

 

 座禅会ですか。それも面白そうですね。そう言えば来週現役のお坊さんがレッスンに来られます。数日前も来られたのですが、禅でいう禅定力というのは形而上学的なものではなく、フィジカルなものですよとお話して体験して頂いたところ、頭頂に強い衝撃が来てびっくりしたそうです(笑)。一緒に来られるのは霊感系の方で、この界隈で実際にサロンされている方です。みんなIさん経由という(笑)。一体どういうことになるか、次回の教室でお話し出来そうですね(笑)。 

 

 それではまた!

 

                                        中原勇一 拝

at 18:30, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(22)〜体の歪み、『未知の次元』、陽神について

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

いつも遠いところ有難うございます。

 

Rさんの反応は面白かったですね。おっしゃるように、単純な静電気ですと、すぐにビリッと来ますもんね。じんわりというのは確かに静電気では説明出来ないかも知れません。やってる本人がこう言うのもおかしなものですけれども(笑)。そこら辺、Kさんのような工学部系の方が冷静に観察なさって、そのようにコメント下さると、僕も勉強になりますね。

 

そうですか。僕は地元ですからあの界隈に行くとげんなりしてしまうのですが、やはり外から来られる方だと印象も違ってくるのでしょうね。視点を変えるというのもいかにも禅っぽいですけれども。そういうトレーニングにもあの界隈は使えるかも知れませんね(笑)。

 

体の歪みに関してですけれども、多かれ少なかれ人は体に歪みを持っているものです。直立歩行しますからね。ですから歪みがどうのこうの言われたところで、気にする必要は全くないと思います。ただそれが具体的な困った症状として現れてくると、それはそれなりに対処しなければなりませんけれども。僕の場合は、右肩と左の腰ですね。点穴知らなかったら結構大変だったかも知れません。そういう意味では僕の場合は、病気になった時が一番の勉強のチャンスだったりします。今まで使ったことのないツボとかテクニックとか使ったりして。この前インフルエンザに掛かりましたが、この時治療に使ったのは布団です。なかなか使えます(笑)。

 

『未知の次元』、懐かしいですね。像の間を見るというのは正におっしゃる通りで、内的対話を停止させるための修行ですね。実際はこういった「世界を止める」ですとか「死はアドバイザーである」ですとかそういった観点は東洋思想的にも極めて重要な概念なのですが(あるいは単に思想だけではなく、実用性という点から見ても極めて重要な発想なのですけれども)、そういったことは教室では議論するのは難しいでしょうね。皆さん心霊現象の方にご興味があるみたいですから(笑)。

 

そう言えば陽神のお話が出ましたけれども、嫁が最近変な話をしますね。実はこの前から時々陽神みたく、空間中に意識を刷り込ませる実験をしているのですが、僕が外出して明らかに不在の時に、僕の部屋で人の気配がすると。僕のお気に入りのStockhausenの音楽のようなものも聴こえる、と言い出しました。僕が、いいじゃん、あんた家に一人でいるのが恐いって言うから、意識だけ置いてんだとかいうと、余計に恐いこと言うな、と怒られましたね。そういうことってあるのかなと思いつつも、もし完全にそっちに意識を移すことが出来たら、修行完成かも知れないな、と思ったりもして(笑)。

 

明日のライブはちょっと早くて、11時10分かららしいです。『タターガタ祭』といって、そのイベント自体は初めてなんですけれども、色々出店もあったりして面白そうだな、と思っています。旧淀江町にある酒蔵を改造したイベントスペースらしいのですが、運営の皆さんすごく頑張ってらっしゃるな、と思います。僕も出来る限りのお手伝いはさせて頂きたいですね。もしよろしかったら是非(笑)。それではまた!

 

中原勇一

at 11:33, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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Kさんとの対話(21)〜電磁場の発生源としての心臓

JUGEMテーマ:心、体、そして魂。

 

謹啓 K様

 

 こちらこそご無沙汰しております。暖かいなと思っていたら、急に雪が降り出しましたね。嫁が山陰の天気はわけがわからない、と言っています。我々はある程度こんなものかな、と思ったりもしますけれども、外国人には異様に見えるのかも知れませんね(笑)。

 

 教室のことはお気になさらないで下さい。逆にいつも遠路遥々申し訳ないな、と思っているくらいですから(笑)。まあでもあれは教室というよりは、皆さんこの二週間の間にどこのスピ系の集会へ行ってきたとかの情報交換の場だったりしますので、こっちも伺ってて面白いですね(笑)。

 

 しかしホントそういうのってたくさんあるんですね。びっくりします。もっとも僕もいくら否定しようとも、その片棒を担っているように見られているのでしょうけれども(笑)。一番多いのは、占い系ですね。前世を見ます、みたいな。そういうのって面白いのかな、と僕は不思議に思ってしますのですけれども、でも需要があるのでしょうね。本来ビジネスをするのであれば、その需要に合わせて業態を変えるのが王道かも知れないのですけれども、なかなかそういう気にならないですね。向いていないと思います。そういう意味では僕はオーソドックスな修行者だと思いますね。人様にどうのこうのよりは、山に篭って一人で技術を高める方が、性に合っていますね(笑)。

 

 心臓については色々なことが言われますが、電気制御の一種のマシンだと考えれば、それが脳から発せられる電流(あるいは電場)によって良くも悪くも影響を受けてしまうということは、あると思いますよ。先だってあるDVDを見たのですが、その中でいわゆるオーラを電場の一種と取らえる考え方が紹介されていて、そのジェネレータとして心臓を挙げていましたね。それは面白い考え方だと思います。やはり心と体は、電磁気学的な観点からしても、相互に密接に関連しているのだと思います。

 

 何はともあれ、教室に関してはご無理なさらず。またお目に掛かれますことを楽しみにさせて頂いております(笑)。 

at 09:39, やわらぎ気功クリニック 中原勇一, Kさんとの対話

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